
金生山明星輪寺
金生山山頂にある明星輪寺周辺では、山蛍とも呼ばれる珍しい陸棲のヒメボタルが生息。大垣市指定天然記念物でもあるヒメボタルは深夜に強く発光する。観察会「金生山姫螢」の2日間以外の夜間の立ち入りは禁止。
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金生山山頂にある明星輪寺周辺では、山蛍とも呼ばれる珍しい陸棲のヒメボタルが生息。大垣市指定天然記念物でもあるヒメボタルは深夜に強く発光する。観察会「金生山姫螢」の2日間以外の夜間の立ち入りは禁止。
垂井町にある南宮大社。金山彦[かなやまひこ]大神を主祭神にまつり、鉱山や金属業の総本宮として知られている。古くから美濃一の宮として源頼朝[みなもとのよりとも]らの厚い尊崇を受けていたが関ケ原合戦の際に焼失した。寛永19年(1642)に徳川家光によって現在の社殿が再建された。杉の古木に囲まれた豪壮な社殿様式は独特の造り。石輪橋[いしわばし](重要文化財)、下向橋[げこうはし](重要文化財)を前に楼門(重要文化財)や高舞殿[こうぶでん](重要文化財)が縦に並び、回廊(重要文化財)など18棟から構成。また、51年ごとに式年遷宮が行われる。
高山北部の鎮守社で、秋の高山祭はこの神社の例大祭。正式名称「高山祭の屋台行事」として昭和57年(1979)重要無形民俗文化財、平成28年(2017)ユネスコ無形文化遺産登録。創建は仁徳天皇のころで、凶族の征伐にやって来た難波根子武振熊命[なにわねこたけふるくまのみこと]が戦勝祈願をしたのが始まりと伝えられている。元和9年(1623)、2代目高山城主・金森重頼が社殿を寄進して再興した。現在の総檜造りの社殿は、昭和51年(1976)に新築されたもの。商売繁盛・学問の神・厄除けの神などを祭る5つの社がある。奉納の絵馬、大きな手水鉢、逆さ桐の灯籠など見どころも多い。
寛永9年(1632)に創建の臨済宗の名刹。本堂の建物は禅宗様式と唐様式が混交した重厚な構えが特徴で、高山城から移築したという石垣の上に立っている。また、山岡鉄舟がこの寺で禅学を修めたといわれ、境内にはその鉄舟の碑や鉄舟の両親の墓がある。
弘仁8年(817)に伝教大師が創建した神社。境内の三重塔は、稲葉一鉄が修造し、室町時代の建築様式の貴重なもの。毎年5月3日、4日に行われる例祭「神戸山王まつり」は、全国的にもまれな勇壮豪快な火祭りとして知られ、4日零時の朝渡御には多くの人が訪れる。
延暦22年(803)に伝教大師最澄[さいちょう]が創建したと伝えられている寺。本尊には薬師如来像(重要文化財)や大日如来像(重要文化財)などが祀られている。舎利堂には、即身成仏した妙心法師のミイラが安置されている。揖斐川町はなももバスは予約制、平日のみ運行。
僧栄西がインドから持ち帰った、如意輪観音半跏思惟像[にょいりんかんのんはんかしいぞう]を本尊とする曹洞宗の禅刹。天保12年(1841)、素玄寺の塔頭[たっちゅう]として再建された。もとは金森氏以前に飛騨を治めていた三木[みつき]氏の菩提寺で、座禅体験もできる。料金:一般1000円・小中学生500円、所要:1時間、要予約。
曹洞宗の名刹で、天正13年(1585)以来107年にわたり増島城主として飛騨を治めた金森家ゆかりの寺。寺宝には金森可重の肖像画など、金森家ゆかりの品が多い。本堂は江戸時代の明和2年(1765)の建立。増島城から移築した山門横の堂宇壁面には極彩色の地獄絵図が描かれており、飛騨人の道徳感を表現したものといわれる。
隣接する雲龍寺の末寺にあたる小さな寺だが、創建は古く応永25年(1418)。手入れのゆきとどいた境内に弁財天を祭る願王殿がある。
初代藩主の金森長近が天正13年(1585)に城下町を造営する際、浄土真宗の門徒の中心道場として建てられた寺。その後幾度か火災に遭い、現在の本堂は昭和39年(1964)に再建されたもの。寺宝館(希望すれば拝観は可能だが、15時まで。無料)には親鸞[しんらん]上人の一代記を描いた絵など、貴重な宝物100点余りが展示されている。また、庫裡は飛騨随一の豪農であった杉下家の民家を移築したものだ。
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