
太宰治文学碑
龍飛崎の龍飛岬観光案内所そばに立つ文学碑。大きな自然石を利用した石碑には、小説家・太宰治の小説『津軽』の一節「ここは本州の袋小路だ。(中略)そこに於いて諸君の路は全く尽きるのである」と刻まれている。まさしくその言葉どおり、龍飛漁港からの道が尽きた一角、太宰碑公園内に立つ。
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龍飛崎の龍飛岬観光案内所そばに立つ文学碑。大きな自然石を利用した石碑には、小説家・太宰治の小説『津軽』の一節「ここは本州の袋小路だ。(中略)そこに於いて諸君の路は全く尽きるのである」と刻まれている。まさしくその言葉どおり、龍飛漁港からの道が尽きた一角、太宰碑公園内に立つ。
三戸城は、三戸南部氏により戦国時代(16世紀中頃)に築城され、石垣や堀跡、土塁などの遺構が多く残り往時を偲ばせている。また、城郭を模した三戸城温故館や歴史民俗資料館があり、歴史ファンからも人気がある。春にはソメイヨシノ、ヤエザクラ、ヤエベニシダレなど定番の桜に加え、黄色の花が特徴のギョイコウが楽しめる青森県南髄一の桜の名所であり、県内外から訪れる人々の憩いの場となっている。令和4年(2022)3月15日に国史跡指定を受けた。
淋代海岸にある広場。昭和6年(1931)、アメリカ人飛行士2人を乗せ淋代海岸を飛び立ったミス・ビードル号は、41時間10分の飛行で無事にワシントン州ウェナッチ市に着陸。三沢の住民たちの協力を得て、世界初の太平洋無着陸横断飛行に成功した。これを記念し、太平洋無着陸横断飛行記念碑と、ミス・ビードル号の実物大模型がある。360度パノラマを楽しめる展望台も設置。
江戸時代まで、八戸南部氏の居城があったところ。現在は、市民いこいの広場として整備されている。公園は高台にあるため、市街を一望できる。また、春には桜やツツジ、秋には紅葉が楽しめる。
南部利康は南部27代利直の4男で、寛永8年(1631)24歳で早逝。父利直がこれを悼み、翌年建立。入母屋[いりもや]造の桃山様式建築で、霊屋全体に花鳥木が極彩色で描かれている。
明治35年(1902)1月に、旧陸軍の青森歩兵第5連隊第2大隊210人が吹雪に遭い八甲田山で遭難。その際、捜索隊の目印になるよう雪のなかに仮死状態で立ち続けた後藤房之助伍長の像だ。周囲にはダケカンバが広がり、前嶽を望むことができる。
龍飛崎灯台近くに立つ歌謡碑。放送作家・作詞家として知られる阿久悠が作詞し、歌手・石川さゆりが歌ってヒットした『津軽海峡冬景色』。津軽海峡の厳しい自然と情景を盛り込んだ歌詞が人々の共感をよんだ名曲だ。津軽海峡を背にして立つ歌謡碑は、ボタンを押すとその2番の歌詞と曲が流れ、しばし曲の世界に引き込まれる。
竪穴建物跡や中世の城郭跡などが発見された場所。築城は建武元年(1334)、南部師行[もろゆき]による。安土桃山時代の本丸を復原。主殿や馬屋が立ち並び、内部では当時の様子を再現している。所要30分。
海抜40mの小高い丘に広がる緑豊かな公園で、陸奥湾の向うに下北半島、遠くは北海道まで望める。作家・太宰治も小説『津軽』執筆のために訪れ、山頂には太宰治文学碑が立つ。沿道には風の町をテーマに町が主催する川柳大賞の受賞作品が刻まれた石碑が立ち並ぶ。
縄文時代の代表的な遺跡で国指定史跡。繊細な文様をもつ優れた造形の縄文土器をはじめ、遺跡内の低湿地からは弓などの木製品が出土している。籃胎[らんたい]漆器などの漆塗りの製品が多く、この遺跡の出土品を特徴づけている。国重要文化財963点を含む出土品は、遺跡の一角にある八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館に収蔵・展示されている。
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