
津軽海峡冬景色歌謡碑
龍飛崎灯台近くに立つ歌謡碑。放送作家・作詞家として知られる阿久悠が作詞し、歌手・石川さゆりが歌ってヒットした『津軽海峡冬景色』。津軽海峡の厳しい自然と情景を盛り込んだ歌詞が人々の共感をよんだ名曲だ。津軽海峡を背にして立つ歌謡碑は、ボタンを押すとその2番の歌詞と曲が流れ、しばし曲の世界に引き込まれる。
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龍飛崎灯台近くに立つ歌謡碑。放送作家・作詞家として知られる阿久悠が作詞し、歌手・石川さゆりが歌ってヒットした『津軽海峡冬景色』。津軽海峡の厳しい自然と情景を盛り込んだ歌詞が人々の共感をよんだ名曲だ。津軽海峡を背にして立つ歌謡碑は、ボタンを押すとその2番の歌詞と曲が流れ、しばし曲の世界に引き込まれる。
明治35年(1902)1月に、旧陸軍の青森歩兵第5連隊第2大隊210人が吹雪に遭い八甲田山で遭難。その際、捜索隊の目印になるよう雪のなかに仮死状態で立ち続けた後藤房之助伍長の像だ。周囲にはダケカンバが広がり、前嶽を望むことができる。
海抜40mの小高い丘に広がる緑豊かな公園で、陸奥湾の向うに下北半島、遠くは北海道まで望める。作家・太宰治も小説『津軽』執筆のために訪れ、山頂には太宰治文学碑が立つ。沿道には風の町をテーマに町が主催する川柳大賞の受賞作品が刻まれた石碑が立ち並ぶ。
龍飛崎の龍飛岬観光案内所そばに立つ文学碑。大きな自然石を利用した石碑には、小説家・太宰治の小説『津軽』の一節「ここは本州の袋小路だ。(中略)そこに於いて諸君の路は全く尽きるのである」と刻まれている。まさしくその言葉どおり、龍飛漁港からの道が尽きた一角、太宰碑公園内に立つ。
平成4年(1992)からの発掘調査で姿を現した縄文時代前期から中期(約5900~4200年前)の日本最大級の縄文集落遺跡。令和3年(2021)7月27日に登録された世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産の一つ。広大な土地に大型竪穴建物や掘立柱建物を復元。高さ約15mのクリの柱を組んだ復元大型掘立柱建物などもある。遠方との交易を示す出土品も展示されている。三内丸山応援隊ボランティアガイドが1時間程で案内してくれる(無料、問合先は三内丸山応援隊)。縄文時遊館では勾玉[まがたま]作り(350円、所要50分)等が楽しめる。食堂や売店ではソフト栗夢[クリーム]やピンバッチなどが人気。
縄文時代の代表的な遺跡で国指定史跡。繊細な文様をもつ優れた造形の縄文土器をはじめ、遺跡内の低湿地からは弓などの木製品が出土している。籃胎[らんたい]漆器などの漆塗りの製品が多く、この遺跡の出土品を特徴づけている。国重要文化財963点を含む出土品は、遺跡の一角にある八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館に収蔵・展示されている。
弘前城北門(亀甲門)の真向かいにあり、仲町伝統的建造物群保存地区に隣接している。津軽の豪商を代表する江戸時代の建築物として貴重な遺構だ。今もたばこ、地酒などを商っている。
日露戦争時、軍医として従軍した三上剛太郎は手縫いの赤十字旗を作って多くの兵士の命を救い、世界から賞賛。その偉業を偲び、生家を修復・公開している。
夏は日差しを遮り、冬は雪を防ぐために造られた木造アーケード。藩政時代から残る伝統的建造物で、これほどまとまっているのは全国的に類例を見ないという。中町は当時から商家や造り酒屋、旅籠、呉服屋などが並ぶ商店街だった。9月の第2土・日曜には「黒石こみせまつり」を開催。2軒の造り酒屋の酒蔵が公開される。平成17年(2005)、重要伝統的建造物群保存地区に選定されているほか、高橋家(重要文化財)、造り酒屋の鳴海氏庭園など、文化財も点在している。
天正14年(1586)に津軽藩祖・為信が設置した関所で、津軽藩の表玄関として警備の役割を果たしていた。現在は面番所[おもてばんしょ]、高麗門[こうらいもん]、冠木門[かぶきもん]を復元。面番所は資料館展示場として利用され、通行許可証や通行手形、刀剣などを展示し、等身大の人形で上番所や下番所などを再現している。
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