
国史跡 阿津賀志山防塁
文治5年(1189)8月、奥州合戦で平泉軍が、源頼朝率いる鎌倉軍を迎え撃つために築いた防御陣地。阿津賀志山の中腹から阿武隈川の旧河道まで約3.2kmにわたる土塁と堀を構築し、地元では二重堀(ふたえぼり)と呼ぶ。近くには源義経が休んだとされる伝承の腰掛松や、南に弁慶ゆかりの硯石山が見え、下二重堀地区の水田には7~8月にかけて中尊寺蓮が防塁のそばでキレイな花を咲かす。
ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
文治5年(1189)8月、奥州合戦で平泉軍が、源頼朝率いる鎌倉軍を迎え撃つために築いた防御陣地。阿津賀志山の中腹から阿武隈川の旧河道まで約3.2kmにわたる土塁と堀を構築し、地元では二重堀(ふたえぼり)と呼ぶ。近くには源義経が休んだとされる伝承の腰掛松や、南に弁慶ゆかりの硯石山が見え、下二重堀地区の水田には7~8月にかけて中尊寺蓮が防塁のそばでキレイな花を咲かす。
奈良時代から平安時代頃に置かれた念珠[ねず]、勿来[なこそ]と並ぶ奥州三古関の1つ。時代と共に関の機能は失われたが、歌人・西行や俳人・松尾芭蕉たちが当時を偲んで和歌や俳句にその名を残している。昭和34年(1959)には発掘調査が行われ、柵列や門跡などの遺構が判明、国の史跡に指定された。白河神社の境内に、寛政12年(1800)に白河藩主・松平定信が建造した「古関蹟」の碑が立っている。隣接する白河関の森公園には、松尾芭蕉・曽良の像がある。
会津若松のシンボル・鶴ヶ城(若松城)の城跡を整備した歴史公園。堀や土塁、石垣などは約400年以上前のものが残り、内堀内の公園全体が国史跡「若松城跡」に指定されてる。本丸跡には昭和中期に再建された5層の赤瓦の天守閣(若松城天守閣郷土博物館)が聳え立ち、茶室麟閣や表門(鉄門)なども復元されて散策に格好。春には、「さくら名所100選」に選ばれた約1000本のソメイヨシノが開花し、鶴ヶ城さくら祭りも開催されて多くの花見客が訪れる。隣接する福島県立博物館もあわせて訪れるのがおすすめだ。
14世紀頃、結城親朝が小峰ケ岡に城を構えたのが白河小峰城の始まりと言われている。江戸時代には、初代白河藩主で現代に繋がる小峰城と城下を整備した丹羽長重や、寛政の改革で知られる松平定信など、七家二十一代が居城とした。戊辰白河口の戦いで城内の一部を焼失したが、平成3年(1991)と平成6年(1994)に三重櫓・前御門がそれぞれ「小峰城御櫓絵図」に基づいて木造で忠実に再現され、白河市のシンボルとして親しまれている。また、東日本大震災の際には石垣が崩落する被害に遭ったが、約5年かけて復旧され、今は美しい姿を見ることができる。
飯盛山にある、二重螺旋6角3層の旧正宗寺・円通三匝堂[さんそうどう]。さざえに似ていることから、さざえ堂と呼ばれる。階段がない螺旋状の坂を登っていくと、いつの間にか下りになっているという不思議な回廊。国の重要文化財に指定されている。所要10分。
人材の育成を目的に享和3年(1803)に建設された会津藩の学校。幕末には白虎隊の少年たちをはじめ、多くの優秀な人材を輩出した。壮大な江戸建築や当時の学習の様子を観覧できるだけでなく、坐禅や茶道・弓道などの各種武士道体験のほか、会津の縁起物「赤べこ」や「起き上がり小法師」の絵付体験も楽しめる。坐禅500円、茶道540円、弓道5本300円、絵付け赤べこ920円、起き上がり小法師770円(坐禅・茶道は10名以上からの予約制)。白虎刀の絵付け920円。
安達ケ原には、旅人を泊めては殺し、その肉を食べて生き血を吸ったという鬼婆の伝説が残る。年老いた杉の根元に鬼婆の墓といわれる黒塚が残っている。
江戸時代に豪農・豪商として知られた堀切家の旧屋敷を一般公開しており、約4000平方mにも及ぶ敷地内で、福島県に現存する最古の土蔵などが見学できる。また施設内に源泉かけ流しの足湯があり無料で利用できる。
鶴ヶ城の西口から約500m、新島八重と兄の山本覚馬の生家である山本家があった付近に立つ碑。平成元年(1989)に同志社が建立した。戊辰戦争で鶴ヶ城に籠城して戦った八重が、会津藩が降伏し開城前夜に詠んだといわれる歌が刻まれている。
会津の歴史・文化の情報発信と伝承を使命とする総合文化施設。約7000坪の敷地に会津藩家老の屋敷、藩米精米所、陣屋、茶室、歴史資料館が建ち並ぶ歴史散策ゾーンを中心に、食事処や特産品店舗も揃っている。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。
路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。
トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。