
宇賀神堂
白虎隊19士の墓から少し下ったさざえ堂の境内に隣接したところにある。創建は寛文年間(1661~1672)で、内部には白虎隊19士の霊像が安置されている。
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白虎隊19士の墓から少し下ったさざえ堂の境内に隣接したところにある。創建は寛文年間(1661~1672)で、内部には白虎隊19士の霊像が安置されている。
兼続は藩主の景勝から屋敷を城の大手口の近くに与えられた。広さは1町(約109m)四方。後の蒲生忠郷時代に町野長門守が移り住んだ際、屋敷を改造せずそのまま使用したといわれている。また、後に江戸時代の代表的兵学者山鹿素行が生まれた場所でもある。
白虎隊最期の場所。白虎隊が鶴ケ城を望む姿を再現した石像も建ち、当時の彼らの心情を考えると感慨深い。ここから南西の方向に目をやると、3kmほど先に鶴ケ城が望める。
霞ケ城公園の東入口にある自然石。寛延2年(1749)の藩政改革の際に、「役人は領民に感謝し、いたわらなければならない」という綱紀粛正の指針が刻み込まれた。
鶴ヶ城の西口から約500m、新島八重と兄の山本覚馬の生家である山本家があった付近に立つ碑。平成元年(1989)に同志社が建立した。戊辰戦争で鶴ヶ城に籠城して戦った八重が、会津藩が降伏し開城前夜に詠んだといわれる歌が刻まれている。
南北朝時代に南朝方の北畠顕家が国府を置いて拠点とした霊山城があったが、霊山寺とともに焼失。いまでは城址が残るだけとなっている。
紀貫之、小野小町、和泉式部、西行法師といった、馴染み深い歌人が和歌に詠んだ歌枕で、多くの文学作品にその名が残されている。太平洋を見下ろす丘陵には、歌碑をはじめ文学碑が10数基ある。周辺一帯は県立自然公園に指定されており、いわき市勿来関文学歴史館(料金:330円、時間:9時~16時30分、休み:第3水曜、祝日の場合は翌日、1月1日)がある。
明治時代を代表する歌人・与謝野晶子は明治44年(1911)に、与謝野鉄寛、佐藤春夫、水上滝太郎らとともに東山温泉を訪れ、歌作などを楽しんだ。竹久夢二の碑の対岸、新瀧橋を渡った「くつろぎ宿 新滝」の敷地内には、「湯の川の第一橋をわがこゆる 秋の夕べのひがしやまかな」の歌碑が建つ。同旅館のロビーには、竹久夢二の絵などとともに掛け軸が展示されている。ロビー内の展示品は宿泊客以外でも見学することができるが、ひと言声を掛けたい。
伊達氏14代稙宗[たねむね]が築いた戦国時代の山城。本丸には中心建物や門の跡が表示されている。いまは、土塁、空堀などが残り、国の史跡に指定されている。
会津藩主が参勤交代などの折りに使った休憩所。戊辰戦争の本営ともなり、白虎隊奮戦の証となる弾痕や刀傷が数十ヵ所も残る御座之間や御次之間などが国の重要文化財に、藩主御入門や湯殿などは史跡に指定されている。参勤交代の道具や古文書なども展示されている。所要20分。
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