
叶津番所(旧長谷部家住宅)
江戸時代後期に建てられた長谷部家の住宅。入口で馬を飼う曲り屋という建築で、美しい茅葺き屋根を今に残している。また、会津と越後を結ぶ「八十里越」の口留番所[くちどめばんしょ]を兼ねており、会津藩役人が滞在した武家造りの奥座敷もある。福島県重要文化財指定。
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江戸時代後期に建てられた長谷部家の住宅。入口で馬を飼う曲り屋という建築で、美しい茅葺き屋根を今に残している。また、会津と越後を結ぶ「八十里越」の口留番所[くちどめばんしょ]を兼ねており、会津藩役人が滞在した武家造りの奥座敷もある。福島県重要文化財指定。
江戸時代創業の薬種問屋は、喜多方でも珍しい厠(トイレ)蔵と塀蔵を持つ。厠蔵はスリッパも陶器という稀少な蔵だ。塀蔵は火事の延焼を防ぐ狙いがあったという。無断での観覧はお断り。必ず店主、もしくは喜多方観光物産協会まで連絡の上、観覧のこと。
毎年5月、8月、9月の3回上演される檜枝岐歌舞伎の舞台。檜枝岐村の中心からやや山側に入った、鎮守神社の境内に立つ。総檜造り、茅葺き屋根の立派な舞台は江戸時代に建てられたもので、一見の価値あり。重要有形民俗文化財。
舘岩川に面して立つ集落。現在も14戸が曲り家で、昔ながらの風情を残している。L字形の間取りが特徴の曲り家は、馬と人間がひとつ屋根の下で暮らすために作られた家屋。現在も人が住んでいるので、マナーを守って見学したい。曲家資料館は4月中旬~11月中旬開館、冬期閉館。
国道352号沿いの板倉近く、桜の木の下に立つ6体の地蔵。檜枝岐はもともと山間の高冷地で作物に恵まれず、凶作の年には食料不足のため多くの子供たちが間引きされた。その冥福を祈り、1730年(享保15)に立てられたもの。柔和な表情をした地蔵は色鮮やかな衣装をまとい、供物が絶えず、村人の信仰の厚さを物語る。
三津谷から、更に北へ旧米沢街道を約3km進んだ所にある集落。漆喰や粗壁の蔵が並ぶ。窓扉は霧よけという窓の上の屋根に各戸の趣向が凝らされている。「二重屋根」や削り屋根の変形ともいえる「腰折れ切妻」「かぶと」などと呼ばれる特色ある屋根が多く見られる。個人宅のため蔵内は見学不可。
会津若松と日光市今市を結ぶ下野街道(会津西街道)沿いに栄えた宿場町・大内宿。昭和56年(1981)に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、街道筋が当時の雰囲気によみがえった。約500m続く道沿いに、40軒ほどの茅葺屋根の古民家が立ち並ぶ。それぞれの建物は、郷土料理を提供する食事処やみやげ物店になっており、懐かしい雰囲気の中でくつろげる。
檜枝岐特有の防火用の穀物倉庫で、民家から離れて建てられたものをいう。役場近くの国道352号沿いに見られる板倉は、蒸篭[せいろ]造と呼ばれ、窓がない。板で隙間なく四面を巡らし、柱や釘は一切使わず、せいろのように厚い板を組み合わせ積み上げたもの。屋根は厚板を置き、ダケカンバの皮で覆いナラの割板で葺いている。奈良の正倉院と同時代の建築様式といわれ、昔の人々の生活を知る上で貴重なものだ。
国道352号から少し奥まった駒嶽神社の境内に立つ、兜造りの茅葺き屋根の舞台。江戸時代、南会津が幕府の天領として栄えた頃の名残で、農民歌舞伎が上演されたという。現在の舞台は明治時代の再建で、国の重要有形民俗文化財。屋根や梁、柱などの見事な細工は必見だ。
奥会津地方で使われてきた生産・生活用具など、代表的な民具3000点を「山・川・道」のテーマ別に展示。施設内には馬宿・染屋・旧猪股家住宅・旧山王茶屋の4棟の茅葺屋根の民家を移築復元している。5~9月には藍染体験(要予約)を実施しており、体験は1時間程度で、ハンカチ1000円~。
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