
阿国寺 連歌庵
晩年、故郷に帰って尼となった阿国が住んだという庵。当初の建物は江戸時代に焼失。現在の建物は昭和初期再建の3代目。
- 「出雲大社前駅」から徒歩17分
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晩年、故郷に帰って尼となった阿国が住んだという庵。当初の建物は江戸時代に焼失。現在の建物は昭和初期再建の3代目。
江戸~明治期に木綿流通の市場町として栄えた平田。船川運河沿いの、この街道には切妻妻入塗家造りの町家が数多く残る。18世紀中ごろの建築という国登録有形文化財の旧地主屋敷の本石橋邸や酒持田本店などは内部見学も可。街道内の老舗で試食や蔵見学、各種体験などができる予約不要のミニツアー「木綿街道探訪帖」(無料~1000円)を催行。
雪舟が晩年を過した雪舟終焉の地、旧東光寺の跡地に建てられた大喜庵。隣接した墓地に雪舟の墓がある。
上級・中級藩士が入れ替わり住んだ屋敷。享保8年(1733)の大火で焼失後再建。武家屋敷の特徴でもある長屋門、主屋や庭園など往時の暮らしを垣間見られる。
1526年から1923年までの約400年にわたって採掘がおこなわれた日本最大級の銀鉱山跡。採掘跡や銀を加工する作業場跡が残る鉱山跡だけでなく、そのふもとの谷間に広がる鉱山町や、石見銀山をめぐっての攻防が繰り広げられたいくつかの城跡、銀、銀鉱石などを積み下ろしした鞆ケ浦や沖泊の港と港町の温泉津、それらをつなぐ街道を含めての登録となっている。この地では銀鉱石を採掘した後、灰吹法と呼ばれる精錬技術によって効率よく高品質な銀が大量に生産されたため、銀山のある佐摩村(さまむら)にちなみソーマ銀と呼ばれて流通していた。
標高197mの月山の地形を利用した山城跡(史跡)。主に尼子氏の居城として知られ、戦国時代には中国地方の中枢となる城であった。近年には整備が進み、中腹の山中御殿から山頂の本丸にかけての石垣が当時を偲ばせ、急な石段も登り易くなった。当時の母屋と待所が復元され、広大な城跡は山城日本一とも言われている。一巡して2時間のコースには全国からお城ファンが訪れている。
JR荒島駅周辺には、弥生時代から古墳時代にかけての墳墓が集中。このうち仲仙寺・宮山・塩津山・造山[つくりやま]の4カ所は公園として整備。総称して「古代出雲王陵の丘」と呼ばれている。古墳は気軽に見学可能。仲仙寺公園と宮山公園には弥生時代の王墓が、造山公園には方墳や前方後方墳など4基の古墳がある。造山公園からは中海や島根半島を一望。雄大な眺望が広がり、中海八景に選定されている。
養老館があるあたりは、かつて家老屋敷が集まっていたところで、津和野のシンボル的なスポット。なかでも多胡家は、津和野藩筆頭家老を亀井氏11代にわたって務めた家柄。風格ある武家屋敷門の左右には門番詰所や物見部屋が残っている。隣接して立つ大岡家も家老の家柄。中は一部、津和野町役場として使われている。
亀井家8代矩賢[のりかた]が天明6年(1786)に創設し、西周や森鴎外など多くの人材を輩出した藩校跡。儒学・兵学・医学・数学と、幕末には蘭学も教えていた。当初は下中島堀内にあったが、津和野の大火で焼失、安政2年(1855)にこの地に移された。現在残っているのは武道場と槍術場・文庫のみ。建物内では養老館の歴史、出身者などをパネルで紹介している。島根県指定史跡。所要30分。
イエス・キリストの福音を伝えるために昭和6年(1931)、ドイツ人シェーファー神父が建てた教会。重厚なゴシック建築だが、礼拝堂内部は教会には珍しい畳敷きで、色鮮やかなステンドグラスが印象的だ。隣接する乙女峠展示室では、カトリックの殉教に関する歴史資料を展示している。また、明治初期浦上キリシタンの殉教地「乙女峠」にも美しい記念のマリア聖堂がある。
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