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浜田市街の亀山とよばれる小山が、かつての浜田城の跡。関ケ原の合戦後の元和5年(1619)、古田重治[ふるたしげはる]が築城した。のち、本多家、松平家の居城となり、江戸時代を通して石見地方の政治の拠点となった。幕末の第2次長州征伐、明治5年(1872)の浜田地震で建物のほとんどが失われ、現在残るのは石垣のみ。春は桜の名所となる。
四隅突出型墳丘墓6基を中心に、27基が点在する墳墓群。全国的にも弥生時代最大級で、国の史跡に指定。史跡公園として整備されている。当時の姿に復元された2号墓の内部には展示室も設けられている。
矢滝城、矢筈城、山吹城と併せて世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」の構成資産の1つであり国指定史跡となっている山城跡。かつて鞆ケ浦と呼ばれた仁摩町の港と石見銀山を結ぶ県道31号沿い、標高153mの岩山・龍巌山[りゅうがんざん]に造られた16世紀の山城で、仁摩方面を守備するための重要拠点だった。永禄8年(1565)頃には、領主温泉氏[ゆし]が軍事的拠点としていた。山頂部には主郭跡があり、岩山を削り出した曲輪と削り残した土塁、堀切などの跡が残る。主郭跡からは北に日本海、南には矢滝城山や馬路高山などが眺められ、7~8月には城跡下の岩肌を這う長さ約50mものノウゼンカズラが赤い花を咲かせる。
文明11年(1479)頃に雪舟が作庭した萬福寺にある庭園(史跡・名勝)。池の向こうに須弥山を表す石組を配し、寺院様式という手法で造られている。右の枯滝と築山の暗部と、左の三尊石の明部の対比が庭に奥行きを与えている。
江戸時代の情趣を現代に伝える津和野のメインストリート。明治の文豪、森鴎外が少年時代に通った藩校養老館も現存している。6月は堀割に咲く花菖蒲と錦鯉のコントラストが美しい。
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