松岬神社
上杉神社と堀を隔てた東側にある神社。米沢藩初代藩主・景勝公、米沢藩中興の名君として有名な、9代藩主・上杉鷹山公、上杉家重臣直江兼続公ほか三柱を祀る。
- 「南米沢駅」から徒歩25分
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上杉神社と堀を隔てた東側にある神社。米沢藩初代藩主・景勝公、米沢藩中興の名君として有名な、9代藩主・上杉鷹山公、上杉家重臣直江兼続公ほか三柱を祀る。
貞観2年(860)慈覚[じかく]大師が、豪族安久津磐三郎[ばんざぶろう]の協力を得て創建。源義家[よしいえ]が奥州平定の出陣の際に戦勝を祈願し、鎌倉鶴岡八幡宮の分霊を祭ったと伝わる。参道の左に三重塔、室町末期のものとされる茅葺きの舞楽殿、その奥に三間社流造りの本殿があり、それぞれ山形県指定重要文化財に指定されている。無形文化財には安久津延年舞がある。裏山一帯は安久津古墳群十数基点在するまほろばの里歴史公園となっている。道をはさんで向かいには道の駅たかはたがあり、休憩には最適。
会津で活躍した、徳一上人の開山といわれる古刹。弘仁元年(810)、入仏供養。伊達氏、上杉氏の信仰も篤かったという。現在の堂は、天保14年(1843)に再建されたもの。別名・あじさい寺とも呼ばれ、7月上~下旬には約1000株のあじさいが咲き誇る。
和銅元年(708)、行基菩薩創建の古刹。貞観2年(860)、慈覚大師が現在地に移した。正式名は、鈴立山若松寺。入母屋単層造銅板葺きの観音堂に安置されている金銅聖観音像懸仏は、観音堂とともに国の重要文化財に指定。昔から縁結びの観音として親しまれ、西の出雲大社、東の若松観音として有名だ。めでためでたの若松さまと、花笠音頭でも歌われている。
貞観2年(860)比叡山延暦寺の別院として慈覚大師(円仁)により創建された天台宗の古刹。室町末期に戦禍にあい、建物の多くが焼失したが、天文12年(1543)に復元された。山門から苔むした石段が奥の院まで続き、頂にそそり立つ凝灰岩に堂宇が張りつく姿は、一幅の水墨画をおもわせる。「山寺が支えた紅花文化」は平成30年(2018)日本遺産に認定された。
寛永15年(1638)建立の本殿は新庄最古の建造物。江戸時代の建築技術の高さがうかがえる。当時は黒漆等で彩色されていたが、今はうっすらと残るだけ。
立石寺境内にある、1300年代に再建された単層入母屋造の堂。開山以来、比叡山から移した不滅の法燈が1000年以上燃え続ける。国の重要文化財、内部の拝観は200円。近くの念仏堂では般若心経の写経ができる。写経奉納1000円。
天平18年(746)開基の古刹。山門をくぐって境内に入ると、桃山時代の彫刻絵模様が施された重要文化財の本堂や薬師堂、三重塔などが立ち並ぶ。各堂内には、薬師三尊・十二神将像をはじめ、平安・鎌倉期の30体を数える重要文化財の仏像が安置されている。優れた国・県・市指定の文化財を数多く擁する文化財の宝庫だ。
大同年間(806~810)の創建と伝わる置賜三十三観音四番札所で、桁行・梁間3間の宝形造。本尊は聖観音立像で、桂一本造、像高176.9cm。現在の堂宇は昭和55年(1980)に全面解体保存修理が行われた。
およそ1200年前に龍華寺として開かれ、600年前に現在の善寳寺となり、龍神様の寺として北陸関東以北に多くの信者を有し、特に漁業関係者の信仰が厚い。家内安全、商売繁栄のよりどころとする信者も多く曹洞宗三大祈祷所となっている。山門、本堂、龍王殿、五重塔など伽藍の整った古刹。国指定有形文化財登録「山門、総門、五重塔、五百羅漢堂、龍王殿、龍華庵」がある。
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