
湯殿山
羽黒山、月山で修行を積んだ行者が仏の境地に入る場所といわれ、「語るなかれ」「聞くなかれ」と口外することを固く禁じられてきた山。北側中腹には、出羽三山の奥宮とよばれる湯殿山神社がある。本宮にはお祓いを受けてからでなければ参拝できない。
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羽黒山、月山で修行を積んだ行者が仏の境地に入る場所といわれ、「語るなかれ」「聞くなかれ」と口外することを固く禁じられてきた山。北側中腹には、出羽三山の奥宮とよばれる湯殿山神社がある。本宮にはお祓いを受けてからでなければ参拝できない。
天平18年(746)開基の古刹。山門をくぐって境内に入ると、桃山時代の彫刻絵模様が施された重要文化財の本堂や薬師堂、三重塔などが立ち並ぶ。各堂内には、薬師三尊・十二神将像をはじめ、平安・鎌倉期の30体を数える重要文化財の仏像が安置されている。優れた国・県・市指定の文化財を数多く擁する文化財の宝庫だ。
湯田川温泉の守り神として、古書などに登載された格式の高い神社。昔は観音堂と称し、十一面観音を祀り、神仏習合時代の密教寺院に多く見られる平面構造となっている。石段の参道には、県指定天然記念物の「乳イチョウ」の巨木がそびえ立ち、その姿はまさに圧巻。また温泉内の「正面の湯」から、神社まで続く石畳の参道は趣があり、映画のロケも行われた。
羽黒山参道「一の坂」手前上り口前の杉並木の中にある。高さが29mの三間五層柿葺の素木造で、東北地方最古の塔。約1100年前に平将門が建立、文中元年(1372)、武藤政氏[むとうまさうじ]の再建と伝えられる。
鶴岡公園の東、内川の畔にある。明治36年(1903)にフランス人パピノ神父の設計で建てられ、明治ロマネスク様式建築の傑作として名高い。尖塔の妻壁、丸窓やアーチの窓などにロマネスク様式をよくあらわし、家老屋敷の武家門と不思議な調和を見せる。教会内には日本では唯一の「黒い聖母マリア像」がある。
貞観2年(860)比叡山延暦寺の別院として慈覚大師(円仁)により創建された天台宗の古刹。室町末期に戦禍にあい、建物の多くが焼失したが、天文12年(1543)に復元された。山門から苔むした石段が奥の院まで続き、頂にそそり立つ凝灰岩に堂宇が張りつく姿は、一幅の水墨画をおもわせる。「山寺が支えた紅花文化」は平成30年(2018)日本遺産に認定された。
市街地北部、あやめ公園の東側にある長井周辺の総鎮守。約5000平方mの境内には老木が生い茂り、社殿・拝殿・神庫などが荘厳なたたずまいをみせる。坂上田村麻呂が東進の際に神社を建てたのが始まりと伝えられる。文禄2年(1593)米沢城主蒲生氏郷[がもううじさと]が、長井郷50余の神社を合祀し総宮神社となった。
深山の天台宗観音寺にある三間四方の阿弥陀堂造り、木造茅葺きの建物。平安時代の特徴をもつ建築物として、昭和28年(1953)に国の重要文化財に指定された。
和銅元年(708)、行基菩薩創建の古刹。貞観2年(860)、慈覚大師が現在地に移した。正式名は、鈴立山若松寺。入母屋単層造銅板葺きの観音堂に安置されている金銅聖観音像懸仏は、観音堂とともに国の重要文化財に指定。昔から縁結びの観音として親しまれ、西の出雲大社、東の若松観音として有名だ。めでためでたの若松さまと、花笠音頭でも歌われている。
大同元年(806)に再建され、東北のお伊勢さまと呼ばれて古くから信仰を集めている。広い境内には根回り8m、樹齢900年という大イチョウ(県天然記念物)があり、本殿・拝殿・神楽殿が荘厳な雰囲気を醸し出している。考古館(料金:拝観料として寸志、時間:9~16時、無休、所要20分)では、鎌倉・室町時代の宝物を展示。
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