
永禄寺
高さ13m、幹周り3m75cmの桜。通称「種まき桜」と呼ばれ、毎年見事な花を咲かせる。樹齢およそ350年。例年開花時期になると夜桜のライトアップが行われる。
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高さ13m、幹周り3m75cmの桜。通称「種まき桜」と呼ばれ、毎年見事な花を咲かせる。樹齢およそ350年。例年開花時期になると夜桜のライトアップが行われる。
屋根が重層になっていて2階建てに見えることから藤倉二階堂[ふじくらにかいどう]とも呼ばれる。室町時代に建てられた建物は、細部まで唐様の手法が取り入れられた禅宗建築で、急勾配の母屋とゆるやかな廂がつくる優美な形状は全国的にも珍しく、国の重要文化財に指定されている。
新選組が京都守護職の松平容保のもとで市中取締りに尽力したことにちなみ、近藤勇の墓が立つ。墓には彼の遺髪や骨が納められているといわれる。土方歳三が藩主・容保公に願い出、会津藩の手により建立されたものである。隣には土方の戒名を刻んだ慰霊碑が立っている。
元亀3年(1572)に開かれた岳林寺にある石造りの十六羅漢像。像の造立は1780年代とみられ、古木が茂った林の中で荘厳な雰囲気だ。
会津高野山[こうやさん]とも呼ばれる。16世紀末に建てられた茅葺きの単層入母屋造りの阿弥陀堂が重要文化財に指定されている。死者の遺髪や遺骨の一部を小型の木製の五輪塔に入れて寺に納めて供養する風習が伝わり、国の重要有形民俗文化財に指定されている。祭礼は毎年8月1日から7日までの一週間で、8月5日午前10時から空也念仏踊りが奉納される。
「しのぶもちずり」はかつて「みちのくの 忍ぶもちずり誰故に 乱れ染めにし我ならなくに」と古今集にも詠まれ、歌枕の地として知られる。境内には悲恋物語を伝える「もちずり石」を中心に県重文の多宝塔をはじめとする諸堂宇があるほか、芭蕉、子規、沢庵和尚芋銭などの多くの句歌碑が建立されてきた。芭蕉も境内を訪れ「早苗とる 手もとや昔 しのぶ摺」の一句を遺している。資料館・傳光閣には芭蕉をはじめゆかりの文人墨客の真蹟などの文化財が展示されている。晩秋のもみじも美しい。
信夫山の中腹、東側の岩壁に彫られた磨崖仏群で、三十三観音、地蔵尊、不動尊など60余体が刻まれている。平安時代の末期から鎌倉時代にかけて建立されたもので、現在の観音堂は慶長19年(1614)に再建されたもの。江戸時代に庶民の間で西国三十三観音を模した仏像を礼拝することが流行したことから、この地にも三十三観音が刻まれたと言われている。
室町時代、三春に居を構えて勢力を伸ばし、三春の城下町をつくっていった田村氏の義顕・隆顕・清顕を「田村三代」と称しているが、この三代の墓があるのが御免町の「福聚寺」である。本尊は鎌倉様式の釈迦如来坐像で、観音堂には木造十一面観音像が安置されている。また、境内のベニシダレザクラ(紅枝垂桜)は町の桜の名所の一つで、4月中旬頃に羽を広げるような美しさを見ることができる。
天長3年(826)の開基という。弘法大師作の薬師如来が祭られ、鯖野[さばの]の薬師ともよばれ、病を癒す仏として親しまれてきた。源義経に随従した佐藤継信、忠信兄弟の菩提寺で、義経一行が奥州行で立ち寄ったことを伝える弁慶の笈[おい]が宝物殿に残され、境内には「笈も太刀も五月に飾れ紙幟[かみのぼり]」と詠んだ芭蕉の句碑がある。
福島県と栃木県の県境近くにあり、奈良~平安時代はみちのくへの出入口として機能していた白河関跡。その丘の上に白河神社が鎮座している。第104回全国高校野球選手権大会で東北勢にはじめて優勝旗が渡った際には、「白河の関越え」として話題になり、記念の御朱印を求める人でにぎわった。
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