
延命寺地蔵堂
屋根が重層になっていて2階建てに見えることから藤倉二階堂[ふじくらにかいどう]とも呼ばれる。室町時代に建てられた建物は、細部まで唐様の手法が取り入れられた禅宗建築で、急勾配の母屋とゆるやかな廂がつくる優美な形状は全国的にも珍しく、国の重要文化財に指定されている。
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屋根が重層になっていて2階建てに見えることから藤倉二階堂[ふじくらにかいどう]とも呼ばれる。室町時代に建てられた建物は、細部まで唐様の手法が取り入れられた禅宗建築で、急勾配の母屋とゆるやかな廂がつくる優美な形状は全国的にも珍しく、国の重要文化財に指定されている。
境内の観音堂は、国の重要文化財に指定。室町末期の建立で、方三間、総檜材茅葺きの入母屋造り。内部は本格的な唐様建築の手法だ。絵様くり形のある木鼻・虹梁に、中央は格天井。当時の技法を知る上からも、極めて貴重な古建築だ。
室町時代、三春に居を構えて勢力を伸ばし、三春の城下町をつくっていった田村氏の義顕・隆顕・清顕を「田村三代」と称しているが、この三代の墓があるのが御免町の「福聚寺」である。本尊は鎌倉様式の釈迦如来坐像で、観音堂には木造十一面観音像が安置されている。また、境内のベニシダレザクラ(紅枝垂桜)は町の桜の名所の一つで、4月中旬頃に羽を広げるような美しさを見ることができる。
相馬家代々の氏神として崇敬されてきた相馬中村神社は、天之御中主神を祭神とする相馬三妙見社の一つであり、中村城郭内西方の小高い丘に位置する。寛永20年(1643)に相馬藩主第18代義胤[よしたね]により建立された後、約20年ごとに都合10回の修理をかさねており、平成29年(2017)の大修理の際には屋根も創建当時のこけら葺に改修された。流造りによる桃山様式の本殿・幣殿・拝殿は、昭和58年(1983)に国の重要文化財に指定されている。
今からおよそ千二百年前、南都(奈良)で法相教学を学んだ後に都を離れ、理想の修行の地を求め、はるか東国へと錫を振った稀代の学僧がいた。後世に菩薩・大師とも称され、会津仏教文化の礎を築いた若き日の「徳一」。徳一は霊峰磐梯山を仰ぎ見る山麓に慧日寺を開創し修行の拠点とした。その慧日寺跡の中心伽藍に開祖徳一菩薩の意思を伝える古代儀礼空間「金堂・中門」が1200年の悠久の時を越えて甦った。
会津三十三観音の第八番札所。曹洞宗大雲山観音寺(竹屋観音寺)境内。子安観音とも称され、鎌倉時代の仏工師運慶の作と伝わる「木造如意輪観音像」が安置されている。
大同2年(807)、空海が磐梯山の噴火を鎮めるために開基、約600年前に源翁[げんのう]禅師が再建したと伝わる古刹。本堂をはじめ源翁作といわれる木像を安置した開山堂、千手観音が置かれた観音堂などがひっそりと佇む。境内には明治のナイチンゲールといわれた瓜生岩子[うりゅういわこ]の像などもある。座禅と法話の体験ができ、熱塩温泉宿泊者は旅館に、宿泊者以外は熱塩温泉旅館組合(TEL:0241-36-3138)に要予約。※体験は5名以上から受付。時間・内容応相談。冬期は実施していないので注意。
高さ13m、幹周り3m75cmの桜。通称「種まき桜」と呼ばれ、毎年見事な花を咲かせる。樹齢およそ350年。例年開花時期になると夜桜のライトアップが行われる。
会津鉄道弥五島[やごしま]駅から大川を越えて山手に入ったところ。鎌倉末期から南北朝の頃(1330年代)の創建といわれる。三間四面に回廊を持った南北朝時代様式を残す本格的な和様建築の観音堂は、国の重要文化財。御蔵入三十三観音の第11番札所ともなっている。
鎮守神社への参道の途中にある老女の石像。欠けた前歯を出した笑顔、額にしわを寄せ、片膝を立て腰を下ろしたユニークな姿だ。もとは水神だったが、縁結びと縁切りの神様として信仰され、新しいハサミを供えると悪縁切りに、錆びたハサミを供えると縁が切れないといわれる。
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