
相馬中村神社
相馬家代々の氏神として崇敬されてきた相馬中村神社は、天之御中主神を祭神とする相馬三妙見社の一つであり、中村城郭内西方の小高い丘に位置する。寛永20年(1643)に相馬藩主第18代義胤[よしたね]により建立された後、約20年ごとに都合10回の修理をかさねており、平成29年(2017)の大修理の際には屋根も創建当時のこけら葺に改修された。流造りによる桃山様式の本殿・幣殿・拝殿は、昭和58年(1983)に国の重要文化財に指定されている。
- 「相馬駅」から徒歩21分
ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
相馬家代々の氏神として崇敬されてきた相馬中村神社は、天之御中主神を祭神とする相馬三妙見社の一つであり、中村城郭内西方の小高い丘に位置する。寛永20年(1643)に相馬藩主第18代義胤[よしたね]により建立された後、約20年ごとに都合10回の修理をかさねており、平成29年(2017)の大修理の際には屋根も創建当時のこけら葺に改修された。流造りによる桃山様式の本殿・幣殿・拝殿は、昭和58年(1983)に国の重要文化財に指定されている。
高さ13m、幹周り3m75cmの桜。通称「種まき桜」と呼ばれ、毎年見事な花を咲かせる。樹齢およそ350年。例年開花時期になると夜桜のライトアップが行われる。
会津の初代藩主保科正之を祀る神社。建立は延宝3年(1675)と古く、当時は日光東照宮に並ぶほどの荘厳さを誇ったという。戊辰戦争により焼失したが、明治13年(1880)に再建された。境内には正之を讃える高さ7.6m、重さ約30トンの霊号碑がある。
福島弁天山の南、経塚山の中腹に坂上田村麻呂が東北の平安を祈って千手観音を安置したのが始まりとされる。高さ4mの千手観音は国の重要文化財で、収蔵庫に安置されている。収蔵庫には国指定重文の千手観音と福島県指定の重文16躰の平安仏が安置されている。
温泉街を見下ろす高台にあり、土湯温泉の開湯にゆかりの深い聖徳太子を祭っている。現在のお堂は江戸時代に建立されたもの。境内のシダレザクラは樹齢500年といわれる。
二本松藩主・丹羽家代々の菩提寺。境内には歴代藩主の墓や、戊辰戦争で戦死した二本松少年隊16名の墓が残されている。少年隊は12歳から17歳で、維新の夜明けを見ずに散った。
新選組が京都守護職の松平容保のもとで市中取締りに尽力したことにちなみ、近藤勇の墓が立つ。墓には彼の遺髪や骨が納められているといわれる。土方歳三が藩主・容保公に願い出、会津藩の手により建立されたものである。隣には土方の戒名を刻んだ慰霊碑が立っている。
大正4年(1915)に建築された、ビザンチン様式のギリシャ正教会系(ロシア正教会)。堂内にあるイイスス・ハリストス(=イエス・キリスト)やマリアの聖像画50点は貴重なもので、茨城県出身の山下りんのイコン画像5点も含まれる。事前に予約すれば、内部の見学もできる。建物・イコンは福島県重要指定文化財。司馬遼太郎著『街道を行く』白河・会津のみちで野バラの教会として紹介。5月最終金~日曜はオープンガーデン(バラ40種以上)で一般公開される。
江戸時代初期に創建され、保科正之[ほしなまさゆき]の代になって現在地に移った。戊辰戦争の戦場となり、東西多数の死者が出た。会津軍145体が埋葬されており、春秋2回の墓前祭が行われる。
元亀3年(1572)に開かれた岳林寺にある石造りの十六羅漢像。像の造立は1780年代とみられ、古木が茂った林の中で荘厳な雰囲気だ。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。
路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。
トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。