
信夫文知摺
「しのぶもちずり」はかつて「みちのくの 忍ぶもちずり誰故に 乱れ染めにし我ならなくに」と古今集にも詠まれ、歌枕の地として知られる。境内には悲恋物語を伝える「もちずり石」を中心に県重文の多宝塔をはじめとする諸堂宇があるほか、芭蕉、子規、沢庵和尚芋銭などの多くの句歌碑が建立されてきた。芭蕉も境内を訪れ「早苗とる 手もとや昔 しのぶ摺」の一句を遺している。資料館・傳光閣には芭蕉をはじめゆかりの文人墨客の真蹟などの文化財が展示されている。晩秋のもみじも美しい。
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「しのぶもちずり」はかつて「みちのくの 忍ぶもちずり誰故に 乱れ染めにし我ならなくに」と古今集にも詠まれ、歌枕の地として知られる。境内には悲恋物語を伝える「もちずり石」を中心に県重文の多宝塔をはじめとする諸堂宇があるほか、芭蕉、子規、沢庵和尚芋銭などの多くの句歌碑が建立されてきた。芭蕉も境内を訪れ「早苗とる 手もとや昔 しのぶ摺」の一句を遺している。資料館・傳光閣には芭蕉をはじめゆかりの文人墨客の真蹟などの文化財が展示されている。晩秋のもみじも美しい。
温泉街を見下ろす高台にあり、土湯温泉の開湯にゆかりの深い聖徳太子を祭っている。現在のお堂は江戸時代に建立されたもの。境内のシダレザクラは樹齢500年といわれる。
開山は約840年前。日本三不動尊の一つといわれ、「中野のお不動さま」と呼ばれる。奥の院、不動明王の前に灯された聖火は、山を開いた恵明道人[えみょうどうにん]が灯して以来燃え続けているものだという。不動滝や洞窟めぐりなどもあり、2月中旬~3月中旬の歳祭りには水行も行われる。
用明2年(587)聖徳太子が仏の道を修める道場として開基されたと伝えられ、日本四天王寺の一寺でもある。明治時代裏山から発見された「経筒」は平安時代の銘があり、国指定重要文化財に指定されている。伊達照宗候の寄進により建立された観音堂には、聖観世音菩薩が安置され奥州・信達33観音霊場の11番札所である。左手に聖徳太子が奉安された等身大の毘沙門天王像が合祀されている。堂下には子育地蔵尊・ぼけ除け延壽観世音菩薩が奉安されており、多くの方々の信仰を集めている。
高さ10m、幹周り約3mの枝垂れ桜。樹齢およそ300年。
平安初期の大同2年(807)、仏都会津の祖・徳一菩薩が「会津西方浄土」として開創。会津ころり三観音の一つ。日本遺産「会津三十三観音」別格番外。縁結び、子授け、安産、健康長寿で信仰を集める。詳細は公式サイトを参照。
棚倉駅の南西6km。大同2年(807)弘法大師が東北行脚中、悪鬼退治のため護摩壇を築いたのに始まる。渓谷に沿った樹齢100年以上の杉並木を抜けると、130段の石段が見えてくる。登りつめると巨岩の洞窟の中に本尊が安置された霊場がある。
標高668mの東堂山は小山町のシンボル。中腹にある満福寺の境内脇に並ぶ羅漢様は、昭和60年(1985)に奉安が始まり、480体以上が奉安されている。のんべい羅漢や大笑い羅漢など、一体一体がとてもユニークな表情で、観音堂脇の静かな空間に鎮座している。表情豊かな羅漢様の中には、「上を向いて歩こう」で有名な永六輔・中村八大・坂本九の「六八九羅漢」、小野町名誉町民の東京農大名誉教授小泉武夫先生や作詩家丘灯至夫先生の羅漢様も奉安されている。
大同年間(806~10)に徳一大師が創建し、大師自らが薬師如来を刻んで安置したと伝える。歴代藩主のほか、有力大名が帰依した名刹。戊辰戦争で多くの文化財を失ったが、運慶作といわれる木造文殊菩薩騎獅像(重要文化財)は拝観可能。確実に拝観したい場合は事前に要電話予約。
寛治3年(1089)に造営されたといわれる神社で、修験者の修行場だった長床[ながとこ](重要文化財)が残る。宝物殿では国や県の重要文化財など約80点を公開している。
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