
桑折西山城跡
伊達氏14代稙宗[たねむね]が築いた戦国時代の山城。本丸には中心建物や門の跡が表示されている。いまは、土塁、空堀などが残り、国の史跡に指定されている。
- 「桑折駅」から徒歩13分
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伊達氏14代稙宗[たねむね]が築いた戦国時代の山城。本丸には中心建物や門の跡が表示されている。いまは、土塁、空堀などが残り、国の史跡に指定されている。
戊辰戦争の際に、会津藩の少年たちで編成された白虎隊。その白虎士中二番隊が戸の口原合戦場から退却し、自刃した地がここ。白虎隊十九士の墓のすぐ下にあり、白虎隊の少年が鶴ヶ城を望む姿を再現した石像が立つ。ここから南西の方向に目をやると、3kmほど先に鶴ヶ城が望め、当時の彼らの心情を考えると感慨深い。
会津藩主が参勤交代などの折りに使った休憩所。戊辰戦争の本営ともなり、白虎隊奮戦の証となる弾痕や刀傷が数十ヵ所も残る御座之間や御次之間などが国の重要文化財に、藩主御入門や湯殿などは史跡に指定されている。参勤交代の道具や古文書なども展示されている。所要20分。
直江兼続は上杉謙信の家臣で、謙信の死後は上杉景勝に仕えた武将。国替えで越後から会津に移って来た景勝から、城の大手口の近くに与えられた屋敷がこの場所で、広さは1町(約109m)四方。江戸時代前期の儒学者・兵学者である山鹿素行が生まれた場所でもあり、大正15年(1926)に建てられた自然石の「山鹿素行誕生地」の碑石の書は、海軍軍人・東郷平八郎の筆によるもの。
平成21年(2009)4月に全面オープンした古墳を中心に広がる芝生の公園。自然いっぱいの広場や史跡に触れられるほか、出土品の展示、体験メニューも楽しめる。体験は、火おこし体験や勾玉作り、古代衣装体験など、バラエティに富んだメニューが揃う。勾玉作りは材料代200円。
高さ4mの魔除けの神様。なぎなたを持ち、刀を差し、大鬼の形相で両手を広げ、市内船引町の3カ所、屋形・朴橋[ほおのきばし]・堀越の集落入口に立ち、外部から悪いものが入るのを防いでいる。毎年4月には「お衣替え」が行われる。
あづま総合運動公園内にある文化財保存、教育施設。約11万平方mの敷地には、国の重要文化財に指定されている芝居小屋・旧広瀬座や、江戸中期から明治初期頃の茅葺農家など9棟が並ぶ。古民家内には生活用具や農耕用具等の民具も展示され、庭や畑と共に当時の環境を再現している。時節ごとに福島に伝わる年中行事の再現や、わら細工などの体験行事も開催。所要40分。
紀貫之、小野小町、和泉式部、西行法師といった、馴染み深い歌人が和歌に詠んだ歌枕で、多くの文学作品にその名が残されている。太平洋を見下ろす丘陵には、歌碑をはじめ文学碑が10数基ある。周辺一帯は県立自然公園に指定されており、いわき市勿来関文学歴史館(料金:330円、時間:9時~16時30分、休み:第3水曜、祝日の場合は翌日、1月1日)がある。
鶴ヶ城公園の一角に立つ県指定重要文化財の茅葺き屋根の茶室。千利休[せんのりきゅう]が豊臣秀吉から死を命じられた際、当時の鶴ヶ城城主・蒲生氏郷[がもううじさと]はその子、少庵[しょうあん]を会津にかくまい、千家復興を働きかけたという。少庵が造ったのが、鶴ヶ城本丸内に造られたこの茶室だ。戊辰戦争後に、茶人・森川善兵衛宅に移築・保存されていたが、平成2年(1990)に元の場所に復元された。会津の銘菓が付いた抹茶が楽しめるのでぜひ。
霞ケ城公園の東入口にある自然石。寛延2年(1749)の藩政改革の際に、「役人は領民に感謝し、いたわらなければならない」という綱紀粛正の指針が刻み込まれた。
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