
氣多大社
国指定重要文化財の拝殿、神門などが立ち並ぶ、縁結びの大国主命[おおくにぬしのみこと]を祀る神社で、万葉の歌、大伴家持も参詣した能登一宮。社殿背後には2100年の歴史を伝える氣多大社社叢(天然記念物)「入らずの森」が広がっている。前田利家公とまつが祟敬した国幣大社。
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国指定重要文化財の拝殿、神門などが立ち並ぶ、縁結びの大国主命[おおくにぬしのみこと]を祀る神社で、万葉の歌、大伴家持も参詣した能登一宮。社殿背後には2100年の歴史を伝える氣多大社社叢(天然記念物)「入らずの森」が広がっている。前田利家公とまつが祟敬した国幣大社。
慶安4年(1651)に加賀藩家老青木五兵衛により建立。本堂には、病気平癒や開運にご利益のある開運霊薬不動尊。子どもに関する願い事を叶える幸福地蔵の他、加賀友禅作家の木村雨山の作品、能面が数多く展示。境内の幸福の道には、十二支像が安置されている。時計回りに2周回り、3周目に自分の干支の前へ行き、合掌してお願い事を1つだけし、最後に、白不動の前で合掌すると願いが叶うといわれる。9月のお彼岸の時期には、白い彼岸花(曼珠沙華)が約1万本の花を咲かせる。
杉木立が鬱蒼と茂る、広大な大名墓所。天正15年(1587)、加賀藩祖の前田利家が兄・利久を野田山に埋葬して以来の歴史のある墓所で、利家をはじめ歴代の藩主一族が眠る。利家の4女・豪姫、3代藩主利常の正妻・珠姫の墓もある。
寛永元年(1624)の建立で、元禄年間(1688~1704)に現在地に再建された。心岩上人作の人骨地蔵尊が有名。高さ4m33cmもある極彩色の地蔵尊で、顔・首・胸・両手・両足の白い部分は、誰にも拝まれることのない無縁仏の人骨が塗り込められているという。心岩上人の自画像図、念仏書、来迎図などを納めた什物堂[じゅうぶつどう]もある。
天正11年(1583)に藩祖・前田利家が創建した寺。堂内には、利家公寄進の大仁王尊像がある。本堂、山門、庫裡は国の登録有形文化財に登録されている。
寛永20年(1643)加賀藩四代藩主前田光高が曽祖父である徳川家康公(東照大権現)をお祀りするため、金沢城北の丸に建立された。朱塗りで彫刻や飾り金具が施され、日光東照宮の縮図ともいわれ、明治11年(1878)、金沢城内に陸軍省が駐屯することとなり、現在地に移築された。本殿、拝殿、幣殿、中門、透塀等は国の重要文化財に指定されている。
加賀藩祖の前田利家公と、正室お松の方を祀る神社。前田家代々の世嗣が住んだ金谷御殿の跡で、ギヤマンをはめ込んだ和洋折衷の神門(重要文化財)が目をひく。高さ25m。特にギヤマンが夕日に映える頃が美しい。琴や琵琶をかたどった橋や島を配した池泉回遊式庭園、金沢城の遺構である東門も見ておきたい。
天正13年(1585)、前田利家が前田家の祈願所として金沢城付近に建立。その後、3代藩主・利常が幕府からの攻撃に備え、寛永20年(1643)現在地に移築した。本堂に続く庫裏は外観が2階建て、内部が4階7層。23の部屋と29の階段がある。物見台ともとれる本堂屋上の望楼、金沢城への地下道と伝えられる大井戸、隠し部屋や隠し階段、ドンデン返し、抜け穴などもあり、別名・忍者寺ともよばれるほど複雑な構造。巧妙に外敵の目をあざむけるようになっている。拝観はガイド付きで予約が必要。幼児、未就学児は保護者同伴でも拝観不可。
永仁2年(1294)創建の日蓮宗の名刹。3代藩主前田利常の母・寿福院の追善のため70年の年月をかけて建てられた。能登随一の大伽藍をもち、本堂・祖師堂・経堂など10の堂宇は国の重要文化財。なかでも高さ34mの五重塔は、北陸では唯一の木造建築の五重塔で、書院前の庭園から見る姿は秀麗そのもの。
山の寺遊歩道の起点となる寺で、真言宗の古刹。竜宮城を思わせる唐破風造りの門が立ち、古くより境内高台に安置される「小島の観音」は能登国第7番霊場として信仰を集める。また、「竹に虎の名鐘不思議」「そうめん不動」「獅子岩と鼓岩」などの七不思議の伝説が残る。本尊の阿弥陀如来坐像は能登国分寺の本尊と伝えられ、慶派の技法を持つ優品だ。
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