大円寺
寛永元年(1624)の建立で、元禄年間(1688~1704)に現在地に再建された。心岩上人作の人骨地蔵尊が有名。高さ4m33cmもある極彩色の地蔵尊で、顔・首・胸・両手・両足の白い部分は、誰にも拝まれることのない無縁仏の人骨が塗り込められているという。心岩上人の自画像図、念仏書、来迎図などを納めた什物堂[じゅうぶつどう]もある。
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寛永元年(1624)の建立で、元禄年間(1688~1704)に現在地に再建された。心岩上人作の人骨地蔵尊が有名。高さ4m33cmもある極彩色の地蔵尊で、顔・首・胸・両手・両足の白い部分は、誰にも拝まれることのない無縁仏の人骨が塗り込められているという。心岩上人の自画像図、念仏書、来迎図などを納めた什物堂[じゅうぶつどう]もある。
天正11年(1583)に藩祖・前田利家が創建した寺。堂内には、利家公寄進の大仁王尊像がある。本堂、山門、庫裡は国の登録有形文化財に登録されている。
嘉吉2年(1442)、蓮如上人(1415~1499)の叔父・如乗[にょじょう]が創建。一向一揆の拠点となったところで、山は石、海は池で表現したとされる、蓮如ゆかりの庭園・九山八海[くせんはっかい]がある。
ひがし茶屋街から子来坂を少し上ったあたり、卯辰山山麓に位置する真言宗の寺。加賀百万石の礎を築いた前田利家の守り本尊である摩利支天を祀り、東京・徳大寺、京都・建仁寺禅居庵と共に日本三摩利支天の一つとされる。毎朝護摩修法が行われる、勝運上昇・心願成就などの霊場としても知られる。境内には、金沢出身の小説家・泉鏡花の小説『五本松』の舞台となったご神木・五本松もあり、境内からの金沢市街の眺望の良さから金沢市指定眺望点にもなっている。
かつて金沢城二の丸にあった能舞台・舞楽殿がある。明治3年(1870)、幕末の戦乱で戦死した加賀藩士たちを祭る社殿として卯辰山に移築後、中村神社の拝殿になった。漆黒の格子天井や緻密な細工の欄間に当時の金沢城の雅がうかがえる。
養老2年(718)、卯辰治田多門天社として創建され、地元の人々には「毘沙門さん」と呼ばれる古社。加賀藩祖・前田利家が没した慶長4年(1599)、金沢城の鬼門にあたるこの神社境内地に利家を祀る卯辰八幡宮を建立、藩社とした。徳川に遠慮して、表向きは利家を神格化できず、規模も小さかったが、藩の祈祷所となっていた。廃藩置県後の明治6年(1873)には、尾山神社に利家の神霊が遷座され、後にこちらの神社名を「宇多須神社」と改称。境内には五代藩主・前田綱紀の疱瘡を治したという「酒湯[ささゆ]の井戸」がある。
珠姫の寺としてもしられる天徳院。加賀藩3代藩主・前田利常の正室、珠姫の菩提寺。珠姫の晩年をからくり人形で紹介している。1日4回上演(12~2月は3回、それ以外の時間帯はDVDによる上映)。四季折々の庭園を眺めながら楽しめる、抹茶席あり。予約すれば、珠姫てまり万頭も味わえる。
七尾市の16の寺院が集まる「山の寺寺院群」。加賀藩主・前田利家が奥能登からの防御のために各宗派の寺院を配置したのが始まりで、これらの寺院は「山の寺瞑想の道」で結ばれている。妙観院はこの遊歩道の起点となる寺で真言宗の古刹。竜宮城を思わせる唐破風造の山門が立ち、古くから境内の高台に安置される「小島の観音」は能登国第7番霊場として信仰を集める。「竹に虎の名鐘不思議」や「そうめん不動」などの七不思議の伝説が残る。本尊の阿弥陀如来坐像は能登国分寺の本尊と伝えられ、慶派の技法を持つ優品だ。
国指定重要文化財の拝殿、神門などが立ち並ぶ、縁結びの大国主命[おおくにぬしのみこと]を祀る神社で、万葉の歌、大伴家持も参詣した能登一宮。社殿背後には3000年以上の歴史を伝える氣多大社社叢(天然記念物)「入らずの森」が広がっている。前田利家公とまつが祟敬した国幣大社。
老杉が茂る参道の石段を上がっていくと、700年前の正和元年(1312)鎌倉時代末に瑩山紹瑾[けいざんじょうきん]禅師49歳の時に創建された永光寺がある。創建当時は本寺を中心に堂宇20数坊を擁して繁栄したが、その後2度の兵火に遭い現在の堂伽藍は寛永以後の再興で永光寺様式として曹洞宗伽藍構成の一典型を保っている。本堂には、幕末三舟の一人山岡鉄舟居士揮毫による襖の書がある。
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