
心の道
ひがし茶屋街の山側は約50の寺社が集まる卯辰山山麓寺院群。徳田秋聲ゆかりの静明寺から北金沢の鎮守・小坂神社まで、寺社をつなぐ心の道が整備されている。珍しい七稲地蔵のある寿経寺や眺望のいい宝泉寺がおすすめ。
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ひがし茶屋街の山側は約50の寺社が集まる卯辰山山麓寺院群。徳田秋聲ゆかりの静明寺から北金沢の鎮守・小坂神社まで、寺社をつなぐ心の道が整備されている。珍しい七稲地蔵のある寿経寺や眺望のいい宝泉寺がおすすめ。
湯涌温泉総湯の裏手の杉林の中に、ひっそりたたずむ。竹久夢二が恋人の彦乃と散歩したという境内には、彦乃に捧げた歌の碑や源泉臼が。
天慶2年(939)創建。前田家当主が代々病気平癒の祈願に訪れた由緒ある安江八幡宮は、起上り発祥の地。お守りや絵馬、ご朱印帳にまで起上りモチーフが。英語が話せる神主による神社ツアーが定期的に行われている。
珠姫の寺としてもしられる天徳院。加賀藩3代藩主・前田利常の正室、珠姫の菩提寺。珠姫の晩年をからくり人形で紹介している。1日4回上演(12~2月は3回、それ以外の時間帯はDVDによる上映)。四季折々の庭園を眺めながら楽しめる、抹茶席あり。予約すれば、珠姫てまり万頭も味わえる。
御祭神は、天照皇大神、豊受姫神。金沢の左義長の元祖。5・10月15~17日春秋祭礼「あぶりもち神事」は300年以上続く、悪事災難厄除伝統特殊神事。祭礼名物「あぶり餅」は、食べる御守と飾る御守(家守)の2種類。樹齢約1000年の御神木の大ケヤキは、金沢屈指のパワースポット。傍らに、「願かけ願い石」も。詩人・中原中也が子供の頃、境内で見た軽業興業(現在のサーカス)を基に、詩「サーカス」を作ったと云われる。御神木大ケヤキの樹皮入り「千年樹守」、「たらよう願い」、「花みくじ願い」等、常時約100種類の御守り等を頒布している。
金沢聖霊総合病院に隣接。昭和6年(1931)の木造建築で、ロマネスク様式を基調にしたデザイン。内部の連続アーチが美しく、金箔や黒漆塗りで仕上げられた円柱が金沢らしい。西洋と日本の感性が調和した建築物として県指定有形文化財となっている。見学は自由。ガイドの類はなし。団体見学の場合は事前連絡を。
かつて金沢城二の丸にあった能舞台・舞楽殿がある。明治3年(1870)、幕末の戦乱で戦死した加賀藩士たちを祭る社殿として卯辰山に移築後、中村神社の拝殿になった。漆黒の格子天井や緻密な細工の欄間に当時の金沢城の雅がうかがえる。
嘉吉2年(1442)、蓮如上人(1415~1499)の叔父・如乗[にょじょう]が創建。一向一揆の拠点となったところで、山は石、海は池で表現したとされる、蓮如ゆかりの庭園・九山八海[くせんはっかい]がある。
總持寺を開山した瑩山紹瑾[けいざんしょうきん]禅師が能登で最初に開いた庵で、釣鐘が下がる珍しい山門がある。宝物館には弘法大師作とも伝えられる馬頭観音立像、十一面観音立像、聖観音立像があり、いずれも国の重要文化財。大般若経600巻の血書も納められている。拝観の場合は要予約(拝観できない場合あり)。
慶長4年(1599)金沢城の鬼門のこの地に加賀藩祖前田利家公を祀り、加賀藩社(徳川に遠慮して、表向きは利家公を神格化出来ずまた規模も小さい卯辰八幡宮)として藩の祈祷所となる。明治4年(1871)の廃藩置県により藩の庇護がなくなり社名を「宇多須神社」とした。境内には五代藩主綱紀公の疱瘡を治したという「酒湯[ささゆ]の井戸」がある。綱紀公の後見人であった利常公に治癒を祝って三代将軍家光公より時服20を拝領したという記録がある。
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