
満足稲荷神社
豊臣秀吉公の出世祈願が叶えられたことが神社名の由来。もとは伏見城の守護神として鎮座する倉稻魂命[うかのみたまのみこと]と、良縁の神様・大国主命も祀られる。
- 「東山(京都)駅」から徒歩3分/「三条京阪駅」から徒歩8分
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豊臣秀吉公の出世祈願が叶えられたことが神社名の由来。もとは伏見城の守護神として鎮座する倉稻魂命[うかのみたまのみこと]と、良縁の神様・大国主命も祀られる。
天台五門跡の一つ。最澄が比叡山に建てた草庵に源を発し、明治4年(1871)、現在地を本坊とする。境内は自然の傾斜を活かして建物を配置。京都市の名勝に指定されている聚碧園などを眺めながら客殿、宸殿を通り、池泉回遊式庭園の有清園に出る。一面を苔の緑が覆い、秋には見事な紅葉に彩られるこの庭に往生極楽院(重要文化財)が立つ。久安4年(1148)の建立で、狭い堂内に仏像を納めるため船を逆さにしたような舟底型天井となっている。金色に輝く阿弥陀三尊像(国宝)を安置。観音・勢至両菩薩の腰をやや浮かせた姿勢が印象的。かつては、堂内は極彩色の壁画で荘厳され、平等院鳳凰堂などとともに極楽浄土の世界を表した。
松尾大社の境外摂社で、創建は顕宗天皇3年(487)と伝えられる京都有数の古社。本殿横にある月延石は、安産の御神徳があるとして信仰を集め、安産祈願に訪れる参拝者が多い。
二条城近くにある神社で、豊臣秀吉が、信仰していた稲荷大神を祀ったのが始まり。秀吉の劇的な出世ぶりから、後に後陽成天皇が命名したそう。平成24年(2012)に上京区から移転。
延暦13年(794)、平安京の方位守護のために創建。方位を司る星神大将軍始め暦神八神を祀っている。御神像80体は国重要文化財。古天文暦資料は京都府指定文化財。
宝亀9年(778)、延鎮上人が音羽の滝の上に庵を結び、千手観音を祀ったのが始まり。音羽山中腹に広がる境内は約13万平方m。延暦17年(798)、坂上田村麻呂が長岡京の旧紫宸殿を移築して堂宇を建造したと伝わり、国宝や国指定重要文化財など30以上の堂塔伽藍が立ち並ぶ。本尊十一面千手観世音を祀る、断崖に立つ懸造[かけづくり](舞台造)の本堂(国宝)は、徳川家光が寛永10年(1633)に再建したもの。18本の束柱が支える舞台からは京都市街を一望。国指定重要文化財の三重塔も同時期の再建。3筋で流れる音羽の滝の水は長寿の延命水だ。世界文化遺産「古都京都の文化財」にも登録されている。
臨済宗南禅寺派の大本山。正応4年(1291)、亀山法皇の離宮を、大明国師を開山に迎えて寺に改めた。創建時の建物は応仁の乱の兵火で焼失し、現在の伽藍は桃山時代以降の再建。国指定重要文化財の高さ22mの三門は、藤堂高虎が大坂夏の陣で命落した将士を弔うため寛永5年(1628)に再建。歌舞伎『楼門五三桐』で、石川五右衛門が「絶景かな、絶景かな」の名セリフで見得を切るシーンで有名だ。御所の殿舎を移築した大方丈と伏見城遺構の小方丈から成る国宝の方丈の襖絵は、狩野永徳や狩野探幽ら狩野派の作で国指定重要文化財。国指定名勝の小堀遠州作庭の方丈庭園も見事。
徳川家康の元家臣で、江戸初期の文人・石川丈山[いしかわじょうざん]が寛永18年(1641)に建てた山荘。現在は禅宗の寺院だ。小楼・嘯月楼[しょうげつろう]を見上げながら建物の中に入ると、堂の名前の由来となった詩仙の間がある。四方の壁には狩野探幽が描いた中国の詩家36人の肖像画「中国三十六詩仙像」が掲げられている。丈山はまた作庭の名手だったともいわれ、白砂が敷かれた見事な唐様庭園から彼の風雅が偲ばれる。庭には丈山が考案者であるという鹿脅[ししおど]し(添水)[そうず]も配され、サツキ、アジサイ、紅葉と四季折々に美しい。
顕本法華宗の総本山。康応元年(1389)に日什上人[にちじゅうしょうにん]が六条坊門室町(今の烏丸五条あたり)に開基。長く寺町二条にあったが、昭和43年(1968)に現在地に移転した。境内にはインド・ブタガヤの大塔を模した仏舎利大塔がそびえ、サクラやツツジをはじめ、紅葉など四季折々の彩りが楽しめる。展示室には安珍・清姫の伝承で知られる道成寺の鐘を安置。本坊の「雪の庭」は俳諧の祖、松永貞徳作と伝わる。
土用丑の日の「きゅうり封じ」で知られる寺。境内には五智[ごち]如来石仏(薬師・宝生・大日・阿弥陀・釈迦)をはじめ、背後に観音坐像以下11体の石仏群が並び、圧巻だ。
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