
御調八幡宮
道鏡事件でこの地に無実の罪にて流罪となった和気広虫姫[わけのひろむしひめ]が大隅に流された弟・清麻呂公の身を安じ、宇佐八幡の分霊を勧請して神護景雲3年(769)に創建したといわれる。室町幕府8代将軍足利義政が寄進した木造狛犬(重要文化財)や鎌倉時代の板木(経版木)(重要文化財)、木造行道面(重要文化財)、御神像7体(重要文化財)などを所蔵し、秀吉手植えの桜で知られる。
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道鏡事件でこの地に無実の罪にて流罪となった和気広虫姫[わけのひろむしひめ]が大隅に流された弟・清麻呂公の身を安じ、宇佐八幡の分霊を勧請して神護景雲3年(769)に創建したといわれる。室町幕府8代将軍足利義政が寄進した木造狛犬(重要文化財)や鎌倉時代の板木(経版木)(重要文化財)、木造行道面(重要文化財)、御神像7体(重要文化財)などを所蔵し、秀吉手植えの桜で知られる。
貞治6年(1367)足利尊氏[あしかがたかうじ]の子2代将軍義詮[よしあきら]が建てた曹洞宗の寺。和様と唐様の折衷様式の高さ20mの三重塔は重要文化財で、海雲塔[かいうんとう]の名を持つ。本堂脇に立つ五百羅漢が並ぶ羅漢堂も見逃せない。また、日曜7時、火・木曜の6時30分から誰でも座禅を組むことができる(要予約)。4月下旬のボタンの花も美しい。
嚴島神社の西側の丘に大永3年(1523)に建立された国の重要文化財。純和様を基調としながら、天竺様や禅宗様を取り入れた建築様式は周辺の景観とも融合し、深い朱の美しさを一層強めている。
平清盛が庵を結び十一面観音を安置した地として知られる。境内には本堂や鐘楼の他、俳人栗田樗堂の墓が残る。豊臣秀吉の四国征伐の際、加藤清正により築かれたとされる「乱れ築き」の巨大な石垣は圧巻。
平安時代の天長3年(826)、弘法大師の開基とされる真言宗の古刹。境内からは鞆の浦の町並みと瀬戸内海の美しい島々が一望できる。本尊の薬師如来像は室町時代中期の作。
海を敷地に見立てた独創的な構成と、平安の建築美を誇る壮麗な古社。推古天皇即位の年(593)の創建と伝えられ、仁安3年(1168)平清盛が、現在ある寝殿造の様式を取り入れた社殿を造営した。本社を中心に、海へ突き出した平舞台[ひらぶたい](国宝)、高舞台[たかぶたい](国宝)、能舞台[のうぶたい](重要文化財)、客[まろうど]神社(国宝)など20数棟が、総延長約270mにも及ぶ朱塗りの回廊で結ばれている。
境内にある松原は、天平8年(736)、遣新羅使一行が下向途中に停泊した際、詠んだ和歌に登場するほど歴史は古い。三間社流造柿葺の本殿が国の重要文化財に指定されている。
本町通りの北側に位置する胡堂は、大林宣彦監督の映画『時をかける少女』でもお馴染みのスポット。建築は、前室付一間社流造りで、竹原の小祠中、最大の規模を持っており最も古く、江戸時代中期のものと考えられる。
承和年間(834~848)開基の浄土宗の寺。寺宝の絹本着色普賢延命菩薩画像は国宝。願いを込めて掌に粘土をギュッと握って作るにぎり仏作りにも挑戦したい。製作料1500円(送料別)。
頼惟清邸からすぐの浄土真宗本願寺派の寺。竹原小早川家の帰依も厚く、代々学問所となっていた。寺宝の高麗鐘[こまのかね](重要文化財)は小早川隆景が唐物貿易で請来させたものと伝えられる。境内には近郊きっての名園といわれた小祇園[しょうぎえん]や頼一族の墓もある。
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