
妙見宮鷲頭寺
約1400年の歴史をもち、日本の節分発祥の地ともいわれる妙見宮鷲頭寺。真言宗御室派に属し、本堂は権現造で神社のようにも見えるたたずまい。本尊の妙見大菩薩は大内氏の氏神さまで、古くから「みょうけんさま」と親しまれている。参道の中ごろにある仁王門両脇の仁王様にわらじを供えると願い事が叶うとされ、わらじは500円(小)で販売。毎年1月7日には大黒市が開かれ、わらじ奉納などでおよそ1万人の人出で賑い、七草がゆの接待なども行われる。
- 「下松(山口)駅」から徒歩8分
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約1400年の歴史をもち、日本の節分発祥の地ともいわれる妙見宮鷲頭寺。真言宗御室派に属し、本堂は権現造で神社のようにも見えるたたずまい。本尊の妙見大菩薩は大内氏の氏神さまで、古くから「みょうけんさま」と親しまれている。参道の中ごろにある仁王門両脇の仁王様にわらじを供えると願い事が叶うとされ、わらじは500円(小)で販売。毎年1月7日には大黒市が開かれ、わらじ奉納などでおよそ1万人の人出で賑い、七草がゆの接待なども行われる。
大内氏が山口に入る以前からあった古社で、応神天皇、仲哀[ちゅうあい]天皇、宇治皇子などを祀る。石段の上に立つおごそかな社は、社殿が一直線に並ぶ山口地方特有の建築形式。楼門・拝殿・本殿(すべて重要文化財)は、大内30代義興が再建したもの。裏手には毛利元就を祀る豊榮[とよさか]神社がある。
桜の名所としても知られ、開運厄除や交通安全の神として信仰を集める古社。刃渡り3.4mの破邪の御太刀や、江戸時代の町並み、風俗などを描いた絵馬といった貴重な文化財が数多く収蔵されている。境内には日本十六塔の一つに数えられる国の重要文化財、閼伽井坊塔婆(多宝塔)があり、高さ13.5mの二重の塔は優美な姿を見せる。
山口市街の大殿大路と堅小路に面した大内氏館跡に、大内氏滅亡後、毛利隆元が建てた大内義隆の菩提寺。明治14年(1881)焼失したが、明治16年(1883)に再建。その際に大内氏の氏寺から室町時代に建てられた興隆寺釈迦堂を移築し、本堂とした。風情のある檜皮葺きの本堂は国指定重要文化財。境内には、大内義隆画像などを展示する龍福寺資料館もあり、境内は春秋には新緑や梅花、紅葉が美しい。
永享2年(1430)大内氏の重臣として仕えていた陶盛政が、陶氏の菩提寺として創建。境内には本堂や開山堂などの伽藍が立ち並ぶなか、陶氏一族の墓が残されている。また、寺に伝わる長穂念仏踊は県無形民俗文化財に指定されている。
境内の柳と井戸は「柳井」という地名の由来になったとされる。かつて豊後の国の般若姫が都へ上京する途中に、この井戸の水で喉をうるおし、お礼にと柳の楊枝をさしたところ、柳の木が生えたという伝説が残る。
元亀3年(1572)創建後幾度もの変遷をへて、明治元年(1868)萩城内から移した毛利元就[もうりもとなり]の菩提寺。もともとここは応永11年(1404)大内盛見[おおうちもりはる]が建立した国清寺の跡で、どっしりとした四脚門の山門(重要文化財)は当時の遺構。桟唐戸[さんからど]や花頭窓[かとうまど]が美しい観音堂(重要文化財)は大内氏ゆかりの滝の観音寺の仏殿を移築したもの。
「西の伊勢神宮」ともよばれる古社。永正17年(1520)、大内氏30代の義興が伊勢神宮の御神霊を勧請して創建した。伊勢と同様に天照皇大神を祀る内宮と、豊受大神を祀る外宮があり、平成12年(2000)に遷宮された社殿は、白木がすがすがしい。付近には五十鈴川、伊勢橋、伊勢門前などの地名も残る。
推古天皇30年(622)に御神霊をここに奉安したのが起源とされ、和同元年(708)に社殿を造営したのを創建とする。周南市文化財に指定されている鐘は、源平合戦の際に流れ矢が当たったとされる鎌倉時代のもの。本殿は国の登録有形文化財指定。隣接の遠石会館では結婚式・披露宴も行え、カフェもある。
山口で晩年を過ごしたといわれる画僧・雪舟が、築庭した庭園(名勝)。大内29代政弘の別荘の庭として造られたが、後に妙喜寺という寺になり、さらに毛利隆元の法名により常栄寺と改称した。本堂北面に広がる庭園は、池の周囲に立石を配した池泉回遊式庭園。中国大陸を象徴する三山五嶽の石組みは、広大なイメージを無数の石で表現している。
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