阿弥陀寺
奈良の東大寺再建の大勧進[だいかんじん]を務めた僧・重源[ちょうげん]が、文治3年(1187)創建した東大寺の別院。金剛力士像(重要文化財)が立つ茅葺きの仁王門をくぐり石段を上ると、広い境内に毛利広政が建てた本堂や開山堂などの堂宇が並ぶ。宝物館には、重源が納めた台座に東大寺再建の事柄を鋳込んだ高さ3mの鉄宝塔(国宝)や木造重源坐像(重要文化財)など、貴重な文化財を展示。6月は約80種、4000株のアジサイが咲き競う。
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奈良の東大寺再建の大勧進[だいかんじん]を務めた僧・重源[ちょうげん]が、文治3年(1187)創建した東大寺の別院。金剛力士像(重要文化財)が立つ茅葺きの仁王門をくぐり石段を上ると、広い境内に毛利広政が建てた本堂や開山堂などの堂宇が並ぶ。宝物館には、重源が納めた台座に東大寺再建の事柄を鋳込んだ高さ3mの鉄宝塔(国宝)や木造重源坐像(重要文化財)など、貴重な文化財を展示。6月は約80種、4000株のアジサイが咲き競う。
元禄4年(1691)、3代藩主・毛利吉就が創建した黄檗宗の寺。毛利家菩提寺のひとつで大照院に偶数代の藩主が葬られているのに対し、ここには3~11代までの奇数代藩主とその夫人が葬られている。墓前には藩士が寄進した500余基の石灯籠が老杉・檜に囲まれて立つ。境内には中国風建物が並び、元禄6年(1693)ころ建築と伝わるベンガラ塗の総門や純唐様の三門、4代藩主・吉広が寄進した梵鐘がかかる鐘楼、本殿である大雄宝殿など重要文化財指定の建物が多数。伽藍配置は中国の明時代末期~清時代の様式で、龍の形を表したものと伝えられている。
源平の戦いでは源義経が戦勝祈願をし、明治維新では高杉晋作の奇兵隊の結成など、歴史上の大きな転換点を見守ってきた由緒ある神社。目印の長い階段を昇ると拝殿にたどり着く。義経をモチーフにした勝守[かちまもり]がある。
平安時代の貞観元年(859)に宇佐神宮から勧請され、関の氏神として親しまれている。豊臣秀吉ゆかりの「太閤蘇鉄」や下関特産のフグを象った「ふくの像」、山口県出身の金子みすず、林芙美子文学碑など見どころも多い。
山門脇の八重桜が作品『極楽寺』に詠まれている。みすゞが仙崎の風景を詠んだ「仙崎八景」の一つ。
応永17年(1410)、大内氏の支族の鷲頭弘忠[わしのうずひろただ]が創建したと伝わる曹洞宗の古刹で、西の学府として栄えた。しかし天文20年(1551)、陶隆房[すえたかふさ]の謀反にあって山口を追われた大内氏31代義隆がここで自刄し、堂宇を焼失。現在の建物は毛利元就が再建したもので、広い境内に本堂、開山堂、観音堂などが立つ。境内を流れる大寧寺川に架かる盤石橋[ばんじゃくきょう]は、2枚の石盤を大小の石で支えた橋で防長三奇橋のひとつ。本堂裏手の山の中腹には、大内義隆主従の墓がある。
元応2年(1320)に創建された古刹。仏殿(国宝)は鎌倉期のもので、わが国最古の唐様禅宗式建築。毛利元就に追われた大内義長はここで自刃した。幕末には京都を追われた三条実美等五卿が潜居していた寺で、高杉晋作が藩論統一(倒幕と維新に至る)を目指して決起した地としても知られる。境内には馬上姿の晋作像が立つ。春の桜、秋の紅葉が美しい。
萩城の築城前に毛利輝元が宿舎にした寺。現在ある表門(重要文化財)は輝元が豊臣秀吉から拝領し、寛永10年(1633)に移築したもの。もともとは京都の聚楽第[じゅらくだい]の裏門として建てられた本瓦葺きの屋根をもつ四脚門で、特に蟇股に豪放な桃山時代の特色が見られる。
明治天皇の崩御により殉死した将軍・乃木希典[まれすけ]と夫人を祀った神社。境内には乃木大将が10歳から16歳まで過ごした家が復元され、夫妻の銅像や遺品などを収蔵する宝物館などがある。
長府毛利家3代綱元が元禄11年(1698)に創建した長府毛利家菩提寺。日本画の巨匠・狩野芳崖、乃木将軍の銅像があり、付近は和銅元年(708)鋳造の貨幣、和同開珎の鋳銭所跡(史跡)で、古銭やフイゴなどが発見された。
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