
万葉の小路
片男波公園にある散策路。万葉の時代に行幸に同行した人々が「和歌の浦」や「玉津島」、「名草山」を題材に詠み込んだ5つの万葉歌碑が立てられている。
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片男波公園にある散策路。万葉の時代に行幸に同行した人々が「和歌の浦」や「玉津島」、「名草山」を題材に詠み込んだ5つの万葉歌碑が立てられている。
東西南北に広がる「本町通り商店街」や「ぶらくり丁大通り商店街」など、6つの商店街は総じて「ぶらくり丁」として親しまれてきた。紀州藩が誇る繁華街として栄華を極めた和歌山県下最大級の商業集積地で、商店街の歴史を今に伝える老舗店も数多く残る。
低い軒や瓦屋根の建物が並び、金物店など昔ながらの店舗が続く。道行くおじいちゃんや、三輪車に乗ったおばあちゃんに出会えるレトロなスポットだ。魚港も近く、鮮魚店には新鮮魚介がズラリ。県道151号を和歌浦に沿って東に進めば左手に見える青い看板が目印。商店街周辺は日本遺産『絶景の宝庫和歌の浦』に指定されている。
四国から和歌山県のアクセスは、車を使うと遠回りになるうえ時間もかかり、なにかと不便。そこで利用したいのが徳島と和歌山を結ぶフェリー。手足を伸ばせる座敷席や売店なども完備し、ゆったりと船旅を楽しむことができる。クレジットカードは車両のみ利用可。
万葉集に詠まれた風光明媚な地。一帯には和歌の神を祀る玉津島神社や多数の歌碑のほか、不老橋など紀州藩ゆかりの史跡もあり、絶好の散策地。平成22年(2010)8月に国の名勝に指定、平成29年(2017)には日本遺産に認定された。
江戸時代から昭和にかけて、熊野川流域の産物の交易の場所として、熊野川河口川原には簡易住宅川原家が建ち並び賑わっていた。川原家は、川が増水すると折り畳んで町に引き揚げ、水が引くとすぐ組み立てて元の町を復元。明治から昭和の最盛期には宿屋など300軒以上が商いを行っていた。その川原家を模した店が並ぶのが、熊野速玉大社に隣接する観光施設・川原家横丁。毎週土・日曜、祝日には、かつて熊野信仰を全国各地に広めた熊野比丘尼の絵解きを再現。地元語り部ガイドが、新宮の歴史や伝説などのみどころを解説してくれる。
急匂配の山岳地帯を走る、こうや花鉄道「天空」。南海電鉄橋本駅から極楽橋駅までの19.8km、標高差443mを結んでいる。乗車希望日の10日前から前日まで電話にて予約受付。絶景を堪能できるワンビュー座席や、森の空気が吹き抜ける展望デッキ等があり、高野山への旅気分が一層高まる。運行ダイヤ等、詳しくは「天空」ホームページを確認。
黒江は古い漆器づくりの町。この地域で作られている紀州漆器は、日本三大漆器の産地として全国的にも有名。川端通り周辺には、昔の漆器職人たちの住居兼職場や問屋が今も残り、一部では漆器製品の販売も行われている。独特の「紀州連子格子」、また、建物が通りに対して斜めにのこぎり歯状に建つ独特の景観は、「黒江の町並み」と呼ばれ多くの観光客が訪れる。
奥瀞峡でスリルを味わうなら、筏下りかラフティングに挑戦してみるのもいい。かつて、熊野で伐採された木材の運搬に一役かった筏。現在この筏を観光用に利用した筏下りが体験できる。筏下りができるのは全国でもこの村だけで、オトノリ~小松間約6kmを1時間で下る。流れが急な難所はオトノリをはじめ3カ所。熟練の筏師がかい一本だけで激流を乗り切っていくさまは見事。所要2時間。同じコースをゴムボートで下るラフティング(料金:7000円~、全装備レンタル・ガイド料・保険料込、休み:12~4月)も人気上昇中。インストラクターが同乗し、指導してくれる。所要3時間。
船内に入るとそこは海面下。船側に沿って大きな観測窓が並び、串本の海の美しい海中景観を楽しむことができる。船はサンゴの群生ポイントをめぐり、串本を代表するテーブルサンゴや枝サンゴをじっくりと観察することができ、さまざまな生き物たちとの出会いが待っている。悠々と泳ぐウミガメと出会えることも。運航中の船内ではマリンガイドが海のこと、生き物のことを楽しく案内している。
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