
青洲の里(道の駅 青洲の里)
文化元年(1804)、全身麻酔による外科手術に成功した華岡青洲。麻酔薬開発のために、母・於継[おつぎ]と妻・加恵が自ら人体実験を申し出、2人に開発途上の麻酔薬を飲ませて効果を確認したことは有名。その青洲ゆかりの地に診療所や墓所があり、青洲の業績を伝える記念館が作られている。
- 「西笠田駅」から徒歩18分/「名手駅」から徒歩19分
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文化元年(1804)、全身麻酔による外科手術に成功した華岡青洲。麻酔薬開発のために、母・於継[おつぎ]と妻・加恵が自ら人体実験を申し出、2人に開発途上の麻酔薬を飲ませて効果を確認したことは有名。その青洲ゆかりの地に診療所や墓所があり、青洲の業績を伝える記念館が作られている。
南方熊楠は慶応3年(1867)和歌山市に生まれ、動植物の研究調査のためアメリカ、キューバ、イギリスへ14年間遊学。帰国後は田辺に居を移し、多方面で功績を残した。ことに菌類の研究では多数の新菌種の発見もしている。その彼の生涯を5つのコーナーに分けて紹介している。ビデオを使って生涯を紹介するほか、キノコ、粘菌類の標本や、昭和4年(1929)、天皇への御進講の際に手渡したのと同じキャラメル箱を利用した標本箱も展示されている。所要1時間。
東京・神田駿河台の文化学院の創設者であり、建築家、芸術家でもあった西村伊作が、大正3年(1914)に、自ら設計して建てた自邸。家父長制の息づく時代に、家族本位の間取りが日本の近代住宅の先駆例として知られる。国重要文化財。
太地出身の洋画家、石垣栄太郎の記念館で、平成3年(1991)に評論家の妻綾子氏が設立した。明治42年(1909)、栄太郎は移民として渡米し、大正9年(1920)から40年代にかけてアメリカ画壇で活躍。当時は世界恐慌から第2次世界大戦へ至る暗い時代で、彼の作品もアメリカの苦悩などをテーマにした力強いタッチのものが多い。油彩、デッサンなどを中心に遺品や綾子氏の著作も展示。
明治23年(1890)、オスマントルコの特派使節一行を乗せた軍艦エルトゥールル号が帰国の途中、暴風雨のため熊野灘で座礁・沈没。69人が大島の人たちに救出されたが、580余人という多くの犠牲者を出した。この水難事故に際し、島の人たちは死者を弔い、その翌年、樫野崎に遭難碑を造った。碑の近くに建てられたトルコ記念館では、沈没したエルトゥールル号の模型や遺品、写真などを展示。所要20分。
幕末のペリー浦賀来航の62年前、寛政3年(1791)に2隻の米国商船が大島に寄航、貿易を申し込んできた。これが初めて公文書に記された日米間の接触で、その歴史的場所に建てられた記念館。館内には、当時の様子をジオラマで展示。商船レイディ・ワシントン号の模型や修交に関する文献、写真なども見ることができる。所要20分。
新宮市出身で熊野をこよなく愛し、「望郷詩人」としても知られる作家・佐藤春夫。東京の佐藤家旧宅を生誕地近くの熊野速玉大社の境内に移築復元し、記念館として公開している。館内には、小説、戯曲、評論、随筆、翻訳と、幅広い活躍をした作家の自筆原稿や自作の絵画、愛用品などを展示する。所要20分。
田辺で後半生を過ごした世界的博物学者、南方熊楠の生涯や業績を紹介。顕彰館と隣り合う南方熊楠旧邸は、熊楠が昭和16年(1941)に亡くなるまで住んでいた家。
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