
北方文化博物館新潟分館
明治28年(1895)の建築で、大正初期から大地主伊藤家(北方文化博物館)の別邸となった。建物は日本建築と洋館の2棟。晩年の會津八一[あいづやいち]が住んでいた関係で八一の作品を展示し、枯山水の庭園には歌碑も残されている。館内には2つの茶室と、掛軸など良寛[りょうかん]の書も展示。所要30分。
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明治28年(1895)の建築で、大正初期から大地主伊藤家(北方文化博物館)の別邸となった。建物は日本建築と洋館の2棟。晩年の會津八一[あいづやいち]が住んでいた関係で八一の作品を展示し、枯山水の庭園には歌碑も残されている。館内には2つの茶室と、掛軸など良寛[りょうかん]の書も展示。所要30分。
文化14年(1817)に建てられた豪商豪農の邸宅。旧米沢街道沿いの約1万平方mの敷地に堀と塀をめぐらせ、1650平方mの母屋と米蔵・味噌蔵・金蔵などが立ち並ぶ。柱はケヤキの巨木を1本1本吟味し選ばれた無節の良材が惜しみなく使われ、天井の梁は龍が飛ぶような松の大木である。板葺の屋根には約1万5000個の石が整然と置かれている。回遊式庭園は名勝、建物は重要文化財に指定。所要40~60分。
上杉謙信公の居城として鉄壁を誇った春日山城。その中腹には、昭和44年(1969)のテレビドラマの放映にあたり制作された、城下を見下ろす謙信公の像がある。春日山城跡は国の指定史跡であり、日本百名城にも数えられている。
佐渡で産出した金を江戸に運ぶために整備された北国街道。越後と信濃の国境に設けられていた「関川の関所」を、当時のままに復元。御番所や役人宅の様子が間近に見られる。敷地内の情報館では資料やジオラマの展示をはじめ大画面の街道シアターなどで関川の関所の歴史を楽しく分かりやすく知ることができ、当時をしのぶことができる。
明治~昭和にかけて新潟を代表した大商家、齋藤家の明治期の邸宅の一部を白山公園内に移築・再建したもの。明治40年(1907)頃の建築と伝わる国登録有形文化財で、格調高い奥座敷や居室のほか、露地庭と一体となった茶室、床の間など、贅を尽くした細工も見どころ。10~16時には、水琴窟を施した日本庭園を眺めながら、菓子と抹茶やコーヒーも楽しめる。所要30分。
日本で最初の都市公園の一つ。「日本の都市公園100選」に選ばれ、さらに「国の名勝」にも指定された新潟市を代表する公園。新潟市民芸術文化会館「りゅーとぴあ」などの文化施設を取り巻くように、6つの空中庭園とそれらを結ぶ空中回廊が整備され、信濃川やすらぎ堤緑地へも歩いて行ける。また、春の桜や梅林、初夏のハス池など、四季を楽しむこともできる。隣接して、白山神社があるほか、園内には茶室を備えた歴史的建築物「燕喜館」がある。
本町通の6番町と5番町の間、本町中央市場商店街の中間地点に位置する。昭和28年(1953)に、信濃川を流れ、燕市の大河津に漂着した龍神像を奉ったのが始まりとされる。商売繁盛と縁結びの神社として地元の人々に親しまれており、毎年8月17日の大祭には神社前で神楽舞が奉納される。
ソメイヨシノなどの桜が楽しめる。開花期間中は公園内にぼんぼりを設置。お堀に映える夜桜は圧巻だ。また、三階櫓には、全国にも例がない珍しい三匹の鯱を配している。公園から望む新発田城は、石垣がすき間なくかみ合うようにきちんと積まれる「切込はぎ」と呼ばれる美観を重視した技法で作られ、「なまこ壁」と併せて見応えがある。日本百名城にも登録されており、往時の姿を留める表門や旧二ノ丸隅櫓も必見だ。
松平忠輝公が築いた高田城跡を利用した都市公園。4月上旬は桜、7月中旬~8月中旬には外堀一面にハスの花が咲く。園内の高田城三重櫓、石垣ではなく土塁を巡らせた外堀などは、高田城図間尺[けんじゃく]などに基づいて再現。三重櫓内の展示室には高田城略年譜、甲冑や陣笠などを展示している。所要20分。
日本百名城にも数えられている春日山城跡は、堀や郭跡など山城の特徴を今もなお残している。春日山神社の脇から山道を登っていくこと約20分、上杉謙信公・景勝公が居を構えた春日山城の本丸跡に到着。標高180mにある本丸跡からは上越市街、頸城平野、日本海など豊かな上越の自然が一望できて爽快だ。
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