芭蕉園
元禄2年(1689)7月、俳人松尾芭蕉が奥の細道行脚の途中、この地に立ち寄り、「荒海や佐渡によこたふ天河」の句を残した。芭蕉筆の銀河の序を刻んだ句碑が建つ。
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元禄2年(1689)7月、俳人松尾芭蕉が奥の細道行脚の途中、この地に立ち寄り、「荒海や佐渡によこたふ天河」の句を残した。芭蕉筆の銀河の序を刻んだ句碑が建つ。
日本美術を海外に広く紹介し、美術学校を創設するなど、明治期、美術界で活躍した岡倉天心[おかくらてんしん]の山荘跡に、有志によって建てられたもの。堂内には天心の胸像が飾られている。
木下順二が戯曲『夕鶴』のもととしたのが佐渡の伝説の一つである「鶴女房」。作者がこれを北片辺[きたかたべ]集落で聞いたことからこの地は夕鶴の里と名付けられた。木下順二自筆の記念碑が建つ。
元和2年(1616)、徳川幕府の天領となった出雲崎は、越後で最初に代官所が置かれた地。代官所は何度か移転し、文化5年(1808)にこの場所に移され、明治維新を迎えることになる。敗走した代官に替わり官軍が民政局を設けた頃には、周囲に堀を巡らせた、御門、長屋、本陣、牢屋などを有する広大な屋敷であったが、現在は往時を物語る老松や稲荷神社が残されているのみ。
延享3年(1746)に幕府直轄領として設置された水原代官所を、資料をもとに建築様式にこだわり再現した建物。館内は上ノ間、御用人部屋、御学問所など19の部屋に分かれ、代官所の役割や当時の様子などが紹介されている。所要30分。
小木の宿根木集落は、佐渡金山で繁栄し江戸時代に千石船と船大工の里として栄えたところ。1haほどの土地に板壁の民家が密集し、民家間の石畳の小路も当時の面影をよく残していて国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。100棟を超える伝統的な建物は、その多くが主屋、納屋、土蔵などから成り、ほとんどが総二階造り。外観は質素だが屋内は漆溜塗りなど豪華な仕上げの家もあり、公開されている回船主の清九郎と船大工職人の金子屋、三角形の三角家など、いずれも大工の技術を活かして建てられ、独特の形をしている。
新潟市の中心部、信濃川に架かる306.9mの鉄筋コンクリートの橋で、現在のものは3代目。平成16年(2004)、国道の橋梁としては日本橋に次いで全国で2番目に国の重要文化財に指定された。御影石の化粧張りが施されており、6連のアーチが重厚な美しさを感じさせる造りとなっている。
本町通の6番町と5番町の間、本町中央市場商店街の中間地点に位置する。昭和28年(1953)に、信濃川を流れ、燕市の大河津に漂着した龍神像を奉ったのが始まりとされる。商売繁盛と縁結びの神社として地元の人々に親しまれており、毎年8月17日の大祭には神社前で神楽舞が奉納される。
奈良時代に諸国に建てられた国分寺の一つで、享禄2年(1529)に焼失した。現在は史跡公園として整備され、金堂や回廊、南大門などの礎石が残る。
岩室温泉街からほど近い、標高234.5mの天神山には直江兼続の実弟、大国実頼(与七実頼)が最後に城主を務めた天神山城の跡が今も残る。城址登り口までは丸小山公園から登山道で20分、舗装された林道で40分ほど。さらに登ると物見台、土塁・石塁や瓢箪池、武者溜りなどがほぼ完全な形で残り、頂上の本丸跡からは絶景を楽しむことができる。
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