
お船の方生誕御館跡の碑
本与板城下直江屋敷で直江景綱の娘として生まれたお船の方。平成20年(2008)9月に建立された碑に刻まれている文字は、『天地人』の原作者・火坂雅志氏の揮毫によるもの。兼続お船ミュージアム(与板歴史民俗資料館)より2kmほど、光西寺に隣接した道沿いに立つ。
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本与板城下直江屋敷で直江景綱の娘として生まれたお船の方。平成20年(2008)9月に建立された碑に刻まれている文字は、『天地人』の原作者・火坂雅志氏の揮毫によるもの。兼続お船ミュージアム(与板歴史民俗資料館)より2kmほど、光西寺に隣接した道沿いに立つ。
尾瀬沼の発見者である尾瀬三郎中納言は、左大臣藤原経房の次男という高貴な生まれ。今から800年ほど前、時の権力者・平清盛と一人の女性をめぐる争いに敗れ、都を追われこの地に流れ着いた。都を去る時に皇妃から渡された虚空蔵菩薩像を生涯肌身離さなかったという。この悲恋の物語は現在まで語り継がれ、銀山平の船着場を見下ろす高台に、烏帽子を被り菩薩を抱えた三郎の像が立っている。毎年7月下旬、多くの燈籠が流される供養祭も開催。
ソメイヨシノなどの桜が楽しめる。開花期間中は公園内にぼんぼりを設置。お堀に映える夜桜は圧巻だ。また、三階櫓には、全国にも例がない珍しい三匹の鯱を配している。公園から望む新発田城は、石垣がすき間なくかみ合うようにきちんと積まれる「切込はぎ」と呼ばれる美観を重視した技法で作られ、「なまこ壁」と併せて見応えがある。日本百名城にも登録されており、往時の姿を留める表門や旧二ノ丸隅櫓も必見だ。
清水園と川を隔てた道筋に立つ、江戸末期に建てられた茅葺寄棟造の八戸の棟割長屋。土間、6畳2間、台所だけの質素なもので、当時の下級武士のくらしがうかがえる。国重要文化財。所要10分。
新発田城は、別名「あやめ城」ともよばれており、表門と旧二の丸隅櫓は国の重要文化財に指定されている。平成16年(2004)に復元された、3匹の鯱を配する三階櫓、「切込はぎ」という手法で組まれた美しい石垣、北国の城特有のなまこ壁など、全国にも珍しい特徴を備えた名城だ。表門前には、新発田で生を受けた赤穂四十七士の1人「堀部安兵衛」の像が立つ。
元禄2年(1689)7月、俳人松尾芭蕉が奥の細道行脚の途中、この地に立ち寄り、「荒海や佐渡によこたふ天河」の句を残した。芭蕉筆の銀河の序を刻んだ句碑が建つ。
北越屈指の豪農として栄華を極めた市島家の住宅。明治初期の風雅な約2000平方mの住宅と茶室、水池を配した約2万6000平方mの回遊式庭園があり、四季折々の趣が楽しめる。杉とケヤキをふんだんに使った数寄屋造の建築も見事だが、ほかに美術工芸品などが多数展示されている。県指定文化財。所要50分。
村なかの「人と人」「人と農地」「人と自然」の豊かなつながり、手入れされた村なかや田畑ののどかな風景が魅力。宿泊施設の「荻の家」「島の家」は環状集落の北側にあり、伝統的な茅葺き家屋、一棟ごとの利用でゆっくりくつろげる。のどかな美しい風景と心地よい風と虫の音が、心身をホッコリさせてくれる集落だ。※マイクロバス等で訪れる場合は要予約。
戦国時代に愛と義を貫いた直江兼続公が、主である上杉景勝公とともに幼年期を過ごしたのが坂戸山。山城で山頂には実城、中腹の御居間屋敷、山麓の御館、家臣屋敷跡などが残る。
文化14年(1817)に建てられた豪商豪農の邸宅。旧米沢街道沿いの約1万平方mの敷地に堀と塀をめぐらせ、1650平方mの母屋と米蔵・味噌蔵・金蔵などが立ち並ぶ。柱はケヤキの巨木を1本1本吟味し選ばれた無節の良材が惜しみなく使われ、天井の梁は龍が飛ぶような松の大木である。板葺の屋根には約1万5000個の石が整然と置かれている。回遊式庭園は名勝、建物は重要文化財に指定。所要40~60分。
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