
本陣伊藤邸跡
伊藤家は参勤交代時の大名宿となる本陣を務めた旧家。慶応3年(1867)龍馬とお龍は伊藤家の一室を借り受けて「自然堂」と号し、短いながらも安寧な日々を過ごした。
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伊藤家は参勤交代時の大名宿となる本陣を務めた旧家。慶応3年(1867)龍馬とお龍は伊藤家の一室を借り受けて「自然堂」と号し、短いながらも安寧な日々を過ごした。
かつて源平の壇之浦の戦いが行われた古戦場で、園内には源義経・平知盛像と、幕末に長州藩が外国船を砲撃した長州砲のレプリカが置かれている。関門海峡で最も狭い幅約700mの早鞆[はやとも]の瀬戸沿いにあり、関門橋や最速約10ノットという潮流、行き交う船などを間近に眺められる。
わが国の夏みかんの原樹といわれる木で、史跡と天然記念物に指定されている。安永年間(1772~1780)に、西本チョウという女性が浜に流れ着いた種子を持ち帰り植えたと伝えられ、今も西本家の庭で秋~冬に黄金色の実を付ける。ほのかな芳香をもつ白い花は山口県花に指定されている。萩の夏みかんもこの木から接ぎ木されたものだ。
唐戸洋館のひとつ。レンガ造りの外壁は厚さ60cmもあり、どっしりとした風格。明治33年(1900)に建てられた市内最古の西洋建築で、国内の現役郵便局舎最古の建物でもある(国登録有形文化財)。施設内には資料を展示。カフェを併設したギャラリーもある。入口には懐かしい円筒型ポストが置かれているので、旅の思い出にハガキを出してみては。夜はライトアップ(日没~22時)も行われる。日本遺産の構成文化財にも選ばれている。
くじら資料館裏手の清月庵境内にある、鯨の胎児を葬った墓。元禄5年(1692)、通鯨組[かよいくじらぐみ]の漁師たちによって建てられた。通の漁師たちにとって鯨漁は生死を賭けた戦いだったため、鯨に対する思いは真摯で、海を見ずに逝った胎児の鯨は丁重に供養されたという。近くの向岸寺には、捕殺された鯨の戒名を記した「鯨位牌」や「過去帳」がある。くじら資料館には古式捕鯨用具(重要有形民俗文化財)をはじめ、新旧捕鯨船や捕鯨の歴史資料を展示。国指定史跡である。
昭和28年(1953)から19次にわたる発掘調査で、土井ケ浜遺跡では約300体の弥生時代の人骨や副葬品が出土。出土した人骨は中国大陸や朝鮮半島のものと酷似していることから渡来系の特徴をもつ。顔を海に向けているのが埋葬の特徴。最も多く人骨が発見された場所はドームで覆われ、発掘当時の状態を復元している。人類学ミュージアムでは、土器や副葬品の展示や3D立体映像、パソコンクイズで弥生人の生活をわかりやすく解説している。国の指定史跡。所要1時間。
大正9年(1920)に三井銀行下関支店として竣工し、歴史的価値から山口県の有形文化財に指定されている。平成20年(2008)11月からは、銀行史資料や山口県の伝統工芸品などの展示棟と併せて「やまぎん史料館」として、一般公開されている。
明治~大正時代、下関は日本の西の玄関口として大いに賑わった。当時の面影を今に伝えるのが、唐戸交差点周辺に残る旧秋田商会ビルと下関南部町郵便局の2つの洋館だ。
長府藩お馬廻り役220石取りの武家の長屋。桁行き8間、梁間2間。反りを付けた屋根がふかれた建物は、江戸時代後期の武家長屋の典型的なものだ。城下町長府の中央を流れる壇具川沿いに立つ。
楊貴妃が漂着したという伝説にちなんで、二尊院周辺を整備した公園。大理石製の楊貴妃像や中国風のあずまやが立つ。
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