
国指定史跡 岡城跡
文治元年(1185)、緒方三郎惟宋[おがたさぶろうこれよし]が源義経を迎えるために築城したといわれている。四方を断崖絶壁の深い谷に囲まれた難攻不落の城として知られ、天正14年(1586)には約4万人近い島津軍を1000人で守ったといわれる。名曲『荒城の月』のモチーフとなったとも云われている城でもある。
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文治元年(1185)、緒方三郎惟宋[おがたさぶろうこれよし]が源義経を迎えるために築城したといわれている。四方を断崖絶壁の深い谷に囲まれた難攻不落の城として知られ、天正14年(1586)には約4万人近い島津軍を1000人で守ったといわれる。名曲『荒城の月』のモチーフとなったとも云われている城でもある。
丘陵の中腹の斜面に浅い龕[がん]を造り、大小3つの如来坐像で構成。古園石仏とは異なった技法で製作され、表面には荒いノミ痕が残るが、邪気のない童顔で人気がある。
初代藩主・稲葉貞通が慶長5年(1600)に創建。九州では2カ所しかない江戸期の木造三重塔。臼杵の名匠・高橋団内らの手によるもので、塔の軒下にはユニークな表情の天邪鬼が置かれている。
江戸後期建造の酒蔵を再生させ、アズレージョとよばれるポルトガルの伝統的タイル絵が壁面を彩る。現在は写真展やミニコンサートなどに利用されている。
慶長7年(1602)、日出藩初代藩主木下延俊が築城。城を囲む苔むした石垣や堀、松並木などを別府湾の景色とともに楽しめる。本丸下の海中、真清水が湧く一帯は城下かれいで知られるマコガレイの生息地だ。
日出藩の城下町。日出城址や当時の建物が現存する藩校致道館など、歴史的見どころが豊富。また、城下海岸の真水に生息する「城下かれい」でも有名。
鋸山山麓から入り、全長90mの乱雑な石段を登ると、絶壁に巨大な不動明王と大日如来の磨崖仏が鎮座する。どちらも7~8m級の半身像で、造立は藤原末期と推定。石仏としては国内最大級・最古のものだ。国の史跡と重要文化財に指定されている。
杵築市街の東端、守江湾に臨んで立つ。応永元年(1394)、木付[きづき]氏4代頼直[よりなお]が築城、江戸時代は松平氏が城主となった。3層の天守は昭和45年(1970)に建てられたもの。城内には鎧兜などが展示されている。また、天守からの海を望む景色は必見。杵築城跡が国史跡として指定された。
仏の里・国東路の玄関口として往時の面影が残る坂道の城下町。江戸時代には、譜代大名松平氏の城下町として栄えた町でもあり、町並みは武家屋敷など歴史的景観を色濃く残している。坂道が多く残る3本のメインストリートをそれぞれゆっくりと散策してみたい。杵築市北台・南台は、坂が特徴的な武家町として、重要伝統的建造物群保存地区に選定。
富来港の開運橋そばにある公園。小さな公園ながら、鳥居をくぐると親子のマネーき猫の像がある。マネーき猫が持つ小判の穴に石を入れると、運勢が占える。
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