古園石仏
4群60余体の臼杵石仏(磨崖仏)は、平安時代後期から鎌倉時代にかけて彫られたと言われており、日本を代表する磨崖仏として、唯一国宝に指定されている。特に古園石仏は、木彫りを思わせる見事な切れ長の伏し目と端正な顔立ちの大日如来を中心に壮大な曼陀羅を構成している。臼杵石仏は、古くから信仰の場所としても知られ、学業成就や縁結びなど様々なご利益があるとされ、古園石仏前に備え付けの祈願用紙に願い事を書いて、御祈願箱に投函することができる。
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4群60余体の臼杵石仏(磨崖仏)は、平安時代後期から鎌倉時代にかけて彫られたと言われており、日本を代表する磨崖仏として、唯一国宝に指定されている。特に古園石仏は、木彫りを思わせる見事な切れ長の伏し目と端正な顔立ちの大日如来を中心に壮大な曼陀羅を構成している。臼杵石仏は、古くから信仰の場所としても知られ、学業成就や縁結びなど様々なご利益があるとされ、古園石仏前に備え付けの祈願用紙に願い事を書いて、御祈願箱に投函することができる。
江戸時代、製蝋と掛屋で財をなした商家。なまこ壁が目を引く歴史ある建物で、178体のひな人形をはじめとした家宝を、雛祭りをはじめ年4回に分けて一般公開する。
江戸時代後期の儒学者・廣瀬淡窓[ひろせたんそう]が開いた私塾。5000人を超す門下生が全国に巣立ち、近代日本を動かした。晩年の淡窓が居住した茅葺き屋根の秋風庵などが見学できる。平成27年(2015)「近世日本の教育遺産群ー学ぶ心・礼節の本源ー」として日本遺産に認定された。
慶應義塾の基本精神であり、福澤諭吉の代表的な言葉である「独立自尊」が刻まれた碑。明治37年(1904)、瀬戸内海の小豆島で採掘した花崗岩を使用し、中津公園内に建造。中津市指定文化財に登録されている。
江戸時代の豊後南画の先駆者、田能村竹田[たのむらちくでん]の旧宅(史跡)。市街地を見下ろす高台にあり、竹田は2階の10畳間を書斎として絵を描いていたという。1階の母屋東側には使い古した筆を供養した筆塚などが残っている。
江戸後期建造の酒蔵を再生させ、アズレージョとよばれるポルトガルの伝統的タイル絵が壁面を彩る。現在は写真展やミニコンサートなどに利用されている。
臼杵市郊外にある山里の丘陵地に点在する臼杵石仏。山王山石仏、ホキ石仏第一群(堂ヶ迫石仏)など、平安~鎌倉時代に凝灰岩の岩壁に刻まれた4群61体の石仏(摩崖仏)があり、そのすべてが国宝に指定。臼杵石仏を代表する古園石仏群は、古園十三仏ともいわれ、大日如来坐像を中心に、菩薩像や明王像など全13体が並び壮大な曼荼羅を構成する。丸みを帯びた柔和な表情に心が安らぐホキ石仏第二群など、その質と数は圧倒的。3日前までの要予約でボランティアガイドによる石仏無料案内があるのもうれしい。
慶長7年(1602)、日出藩初代藩主木下延俊が築城。城を囲む苔むした石垣や堀、松並木などを別府湾の景色とともに楽しめる。本丸下の海中、真清水が湧く一帯は城下かれいで知られるマコガレイの生息地だ。
江戸期から続く老舗の商家であり、現在の建物は1800年代に建設され、漆喰塗の重厚な造りが見どころ。正面母屋の「塩屋主屋」、中央にある「塩屋中蔵」、敷地最奥に立つ土蔵「塩屋古蔵」ともに国の登録有形文化財。
弘治2年(1556)頃、東九州一円に絶大な権勢を誇ったキリシタン大名・大友宗麟によって築城された城。四方を海に囲まれた海城だったが、その姿から亀城ともよばれた。現在は埋め立てにより陸続きとなっており、江戸時代より残る畳櫓と卯寅口門脇櫓[うとのくちもんわきやぐら]に加え、大門櫓が復元されている。城跡内には宗麟の精気漲る最盛期の姿を刻んだ「大友宗麟像」というレリーフがある。ポルトガルから贈られた日本初の大砲・国崩しのレプリカは必見。春は桜の名所としても知られている。
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