磯矢邸
大分県杵築市の北台武家屋敷跡に残る屋敷の一つ。江戸時代後期に藩の御用屋敷(休息所)として使われ、のちに家老・加藤与五右衛門の屋敷だったところ。
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大分県杵築市の北台武家屋敷跡に残る屋敷の一つ。江戸時代後期に藩の御用屋敷(休息所)として使われ、のちに家老・加藤与五右衛門の屋敷だったところ。
安政2年(1855)創業の薬種屋で薬「日本丸」を発売。江戸時代末期から昭和初期にかけ増改築を重ねた木造4層3階建ての建物で、江戸時代後期の水場(台所)や、奥座敷や展望楼が残る。百味ダンスなどの古い道具や当時の薬の広告などを展示。
北台と南台に、江戸時代の面影を伝える武家屋敷が残っている。勘定場の坂を上った北台は、藩政時代には藩校「学習館」など公の建物が多かった場所。坂の上には藩校の門や大原邸などが当時の姿を見せている。ほか、酢屋の坂、塩屋の坂、勘定場の坂など石畳の坂道に、高い石垣、土塀が連なっている。武家町として重要伝統的建造物群保存地区に選定。
6基の前方後円墳を園内に残した総面積約19万平方mの史跡公園。各古墳は3~6世紀にかけて築かれたもので、最大の福勝寺古墳[ふくしょうじこふん]は全長82mある。天気の良い日は弁当持参でピクニックをするのもいい。ゴミは必ず持ち帰ること。
江戸時代、製蝋と掛屋で財をなした商家。なまこ壁が目を引く歴史ある建物で、178体のひな人形をはじめとした家宝を、雛祭りをはじめ年4回に分けて一般公開する。
鋸山山麓から入り、全長90mの乱雑な石段を登ると、絶壁に巨大な不動明王と大日如来の磨崖仏が鎮座する。どちらも7~8m級の半身像で、造立は藤原末期と推定。石仏としては国内最大級・最古のものだ。国の史跡と重要文化財に指定されている。
仏の里・国東路の玄関口として往時の面影が残る坂道の城下町。江戸時代には、譜代大名松平氏の城下町として栄えた町でもあり、町並みは武家屋敷など歴史的景観を色濃く残している。坂道が多く残る3本のメインストリートをそれぞれゆっくりと散策してみたい。杵築市北台・南台は、坂が特徴的な武家町として、重要伝統的建造物群保存地区に選定。
仁聞菩薩により開基され、六郷満山の中山本寺として栄えた名寺の跡。山門跡に残る一対の仁王像や1000基を超える五輪塔群が、時の流れを伝える。新緑や紅葉シーズンには、写真スポットとして人気がある。
屋山[ややま]の北側、天念寺[てんねんじ]の前を流れる長岩屋川[ながいわやがわ]の中ほどにある大岩に刻まれた磨崖仏。全高が3mを越す不動明王立像を中心に、左右にコンガラ童子とセイタカ童子の不動三尊が並ぶ。作風から室町時代の作とされ、水害除けの祈りが込められている。
本耶馬渓の景勝地・競秀峰の崖下を通る洞門。僧・禅海が30年余りをかけてノミと槌だけで掘ったといわれ、明和元年(1764)に完成した。全長約342mでトンネル部分は144m。その逸話は菊池寛の小説『恩讐の彼方に』のモデルとなった。明治後期の大改修で当時の状態からはかなり変化しているものの一部に明り採り窓や、ノミの跡が残っている。
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