
福澤諭吉旧居・福澤記念館
明治の偉人、福澤諭吉が17~19歳まで過ごした木造茅葺きの旧宅(史跡)と、諭吉が勉学に励んだ土蔵が現存。記念館内では、『学問のすゝめ』の版本や数多くの遺品を展示している。所要30分。
- 「中津(大分)駅」から徒歩16分
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明治の偉人、福澤諭吉が17~19歳まで過ごした木造茅葺きの旧宅(史跡)と、諭吉が勉学に励んだ土蔵が現存。記念館内では、『学問のすゝめ』の版本や数多くの遺品を展示している。所要30分。
仁聞菩薩により開基され、六郷満山の中山本寺として栄えた名寺の跡。山門跡に残る一対の仁王像や1000基を超える五輪塔群が、時の流れを伝える。新緑や紅葉シーズンには、写真スポットとして人気がある。
明和元年(1764)僧禅海[ぜんかい]が30年余りをかけてノミと槌だけで掘ったといわれる隧道。その逸話は菊池寛の小説『恩讐の彼方に』のモデルとなった。全長は約342m、現在の洞門は当時の状態からはかなり変化しているものの一部に明り採り窓や、ノミの跡が残っている。
弥生時代の住居や倉庫が復元された、体験型の史跡公園。火おこし100円や勾玉づくり300円などの体験ができる。歴史体験学習館では、遺跡から発掘された安国寺式土器のほか、住居の建築部材や、国東の石造物などを展示。
天正18年(1588)、黒田官兵衛孝高(如水)が、山国川河口の地に築城し、その後、細川家、小笠原家と続き、享保2年(1717)から奥平家の居城となり、廃藩置県まで統治した。奥平家は産業振興、蘭学振興等を行い、前野良沢[まえのりょうたく]や福沢諭吉等を輩出する土壌となった。現在の城は、昭和39年(1964)に奥平家が中心となって中津市民の協力のもと、再建したもので、五層の天守閣と二層の櫓からなっている。内部は歴史資料館となっており、徳川家康拝領の白鳥鞘の鑓や歴代当主の甲冑や古文書等数多くの奥平家所蔵の品々を展示している。
江戸時代、製蝋と掛屋で財をなした商家。なまこ壁が目を引く歴史ある建物で、178体のひな人形をはじめとした家宝を、雛祭りをはじめ年4回に分けて一般公開する。
安政2年(1855)創業の薬種屋で薬「日本丸」を発売。江戸時代末期から昭和初期にかけ増改築を重ねた木造4層3階建ての建物で、江戸時代後期の水場(台所)や、奥座敷や展望楼が残る。百味ダンスなどの古い道具や当時の薬の広告などを展示。
屋山[ややま]の北側、天念寺[てんねんじ]の前を流れる長岩屋川[ながいわやがわ]の中ほどにある大岩に刻まれた磨崖仏。全高が3mを越す不動明王立像を中心に、左右にコンガラ童子とセイタカ童子の不動三尊が並ぶ。作風から室町時代の作とされ、水害除けの祈りが込められている。
大分県杵築市の北台武家屋敷跡に残る屋敷の一つ。江戸時代後期に藩の御用屋敷(休息所)として使われ、のちに家老・加藤与五右衛門の屋敷だったところ。
江戸中期の哲学者・三浦梅園は国東に生まれ、自然界の条理の解明に励み、一大哲学体系を打ち立てた。館内には梅園手作りの天球儀や自筆稿本などの重要文化財をはじめとする資料を展示している。天空シアターでは、梅園の生涯や学説を紹介する約10分の映像3種を上映。隣接する寄せ棟茅葺きの三浦梅園旧宅(史跡)は無料で見学可。
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