
八大神社
永仁2年(1294)、素戔嗚尊[すさのおのみこと]・稲田姫命[いなだひめのみこと]の夫婦神をご祭神とし創建。境内地にある一乗寺下り松の下で、慶長9年(1604)に宮本武蔵が吉岡一門と決闘したと伝えられている。
- 「一乗寺駅」から徒歩15分/「修学院駅」から徒歩16分
ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
永仁2年(1294)、素戔嗚尊[すさのおのみこと]・稲田姫命[いなだひめのみこと]の夫婦神をご祭神とし創建。境内地にある一乗寺下り松の下で、慶長9年(1604)に宮本武蔵が吉岡一門と決闘したと伝えられている。
早良[さわら]親王など、非業の死を遂げた御霊八所の神を祭る。本殿は寛政3年(1791)に宮中の内侍所仮殿を移し、寺町通に面した表門は仮皇居の建礼門を移したものと伝えられている。
百々御所[どどのごしょ]とも呼ばれた尼門跡寺院。代々内親王が住持となっている。光格天皇から賜った人形や盤双六、投扇、貝覆などの遊戯具を所蔵。人形の寺ともいわれる。春と秋には、皇室から贈られた人形などの寺宝を公開する人形展を開催。境内には人形塚があり、10月14日は人形供養祭が行われる。
豊臣秀吉の正室、高台院(北政所ねね)が慶長11年(1606)に秀吉の菩提を弔うために開いた寺。創建当初は広大な寺域をもつ壮麗な寺であったが、度重なる火災に遭っている。桃山様式の創建当時の面影を残すのは、開山堂(重要文化財)と、須弥檀や厨子の高台寺蒔絵で名高い霊屋[おたまや](重要文化財)、伏見城から移した茶室傘亭(重要文化財)と時雨亭(重要文化財)、表門(重要文化財)、観月台(重要文化財)など。東山を借景にした小堀遠州作の庭園(名勝・史跡)も見ごたえがある。
知恩院の北側にある天台宗の門跡寺院で、粟田御所とも呼ばれる。応仁の乱を逃れたという門前の楠の大木が目印。平安末期に比叡山の東塔から移した青蓮坊がそもそもの始まり。代々親王が住職を務めてきた格式の高い寺である。天明8年(1788)の皇居炎上の際には後桜町上皇の仮御所となった。雅な建物は明治以降の再建。みどころは2つの庭園。華頂山を借景とした室町時代の相阿弥作池泉廻遊式庭園と、小堀遠州作の霧島の庭。春秋の特別公開時には、庭園の一角の茶室・好文亭で抹茶付きで鑑賞ができる。
弘仁2年(811)、日圓上人が紀州熊野大神を勧請したのが始まり。国生みを行った夫婦神伊弉冉命・伊弉諾命とその御子神天照大神を祀る。ご利益は縁結び・安産・病気平癒・健康長寿。熊野牛王宝印・からす守り・なぎ守り・サッカー守り授与。
上賀茂神社の境外摂社で、古くは「恩多社」とも呼ばれた古社。上賀茂神社の東、800mほどのところに鎮座し、日本神話に登場する天鈿女命[あめのうずめのみこと]を祭神とするだけに芸能・長寿の神様として信仰が厚い。趣のある一間社流造の檜皮葺き屋根の本殿と、同じく檜皮葺きの拝殿は江戸初期の造替。「大田神社巫女神楽」は京都市登録無形民俗文化財。国の天然記念物に指定されるカキツバタの名所として知られ、参道脇の「大田ノ沢」と呼ばれる池に群生する濃紫色のカキツバタの花の美しさは平安時代の歌人・藤原俊成の歌にも詠まれたほど。
顕本法華宗の総本山。康応元年(1389)に日什上人[にちじゅうしょうにん]が六条坊門室町(今の烏丸五条あたり)に開基。長く寺町二条にあったが、昭和43年(1968)に現在地に移転した。境内にはインド・ブタガヤの大塔を模した仏舎利大塔がそびえ、サクラやツツジをはじめ、紅葉など四季折々の彩りが楽しめる。展示室には安珍・清姫の伝承で知られる道成寺の鐘を安置。本坊の「雪の庭」は俳諧の祖、松永貞徳作と伝わる。
臨済宗大徳寺派の大本山大徳寺の塔頭の一つ。表門と本堂(方丈)は、ともに国の重要文化財に指定されており、大徳寺最古の建築。四方を趣の異なる4つの庭に囲まれている。方丈の北に枯山水の龍吟庭[りゅうぎんてい]、南に苔が美しい一枝坦[いっしだん]の庭、東に東滴壺[とうてきこ]と呼ぶ坪庭がある。
天台声明の根本道場として開山された寺。文治2年(1186)、浄土宗祖法然上人が諸学の学僧と宗論をした、「大原問答」の舞台として有名だ。この問答で、阿弥陀仏の名を唱うれば仏様の願力によって衆生が救われると法然が説いたところ、阿弥陀如来が手から光明を放ったといわれる。このことから、本尊を「証拠の阿弥陀」と呼ぶようになった。また子院に実光院と宝泉院がある。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。
路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。
トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。