妙満寺
顕本法華宗の総本山。康応元年(1389)に日什上人[にちじゅうしょうにん]が六条坊門室町(今の烏丸五条あたり)に開基。長く寺町二条にあったが、昭和43年(1968)に現在地に移転した。境内にはインド・ブタガヤの大塔を模した仏舎利大塔がそびえ、サクラやツツジをはじめ、紅葉など四季折々の彩りが楽しめる。展示室には安珍・清姫の伝承で知られる道成寺の鐘を安置。本坊の「雪の庭」は俳諧の祖、松永貞徳作と伝わる。
- 「木野駅」から徒歩7分/「京都精華大前駅」から徒歩14分
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顕本法華宗の総本山。康応元年(1389)に日什上人[にちじゅうしょうにん]が六条坊門室町(今の烏丸五条あたり)に開基。長く寺町二条にあったが、昭和43年(1968)に現在地に移転した。境内にはインド・ブタガヤの大塔を模した仏舎利大塔がそびえ、サクラやツツジをはじめ、紅葉など四季折々の彩りが楽しめる。展示室には安珍・清姫の伝承で知られる道成寺の鐘を安置。本坊の「雪の庭」は俳諧の祖、松永貞徳作と伝わる。
天台声明の魚山流の道場として開山された寺。文治2年(1186)、浄土宗祖法然上人が諸学の学僧と宗論をした、「大原問答」の舞台として有名だ。この問答で、阿弥陀仏の名を唱うれば仏様の願力によって衆生が救われると法然が説いたところ、阿弥陀如来が手から光明を放ったといわれる。このことから、本尊を「証拠の阿弥陀」と呼ぶようになった。また子院に実光院と宝泉院がある。
暦応4年(1341)、足利尊氏建立による足利家の菩提寺。初代尊氏から15代義昭まで歴代将軍の木像(5、14代を除く)を安置する霊光殿がある。夢窓疎石の作と伝えられる庭園は、東の心字池と西の芙蓉池の2つによって構成されている。特に書院から眺める西庭は石組がダイナミックで、池に架かる石橋など凝った造りになっている。
通称「だるま寺」と呼ばれている京都のお寺。ダルマは、日本では古くから縁起物として親しまれており、ここ法輪寺では諸願成就や厄除けを願って、全国から持ち込まれたダルマが奉納されている。大小さまざまな表情豊かなダルマは見ているだけでもおもしろい。みやげにぴったりのダルマのお守りや土鈴もある。
享保8年(1723)鳳潭上人が華厳宗再興を願って創建。飼育された鈴虫が一年中鳴くことから、別名鈴虫寺と呼ばれる。山門横に立つ草鞋を履いた幸福地蔵は、一つだけ願いを叶えてくれるという。僧侶による法話もある。
渡月橋を見下ろす高台に建ち、「嵯峨の虚空蔵さん」と親しまれてきた。『枕草子』の「寺は」では「壺坂、笠置、法輪」と並び称せられ、院政期には多くの人々の信仰を集めて隆盛を誇った寺。現在は十三まいりで親しまれ、毎年4月13日、13歳になった子供が法輪寺の虚空蔵菩薩に智恵と福徳を授かりに行く。思い思いの1字を墨で書いて奉納した後、渡月橋を渡って帰る時に、後ろを振り返るとせっかく授かった智恵を返してしまうとの言い伝えがある。
東福寺の塔頭であり筆の寺として知られる。毎年11月23日には、筆塚前で使い古した筆記具を護摩木にくべて感謝する、筆供養が行われる。
東福寺塔頭のひとつで、明徳元年(1390)創建。重森三玲が復元した九山八海の庭の中央には、熊本藩細川家から贈られた遺愛石がある。この石は寺領五百石を辞退した代わりに拝領したものという。もう一つの臥雲[がうん]の庭も美しい。また、日露戦争中、ロシア人捕虜を収容し、彼らが木や竹で作った楽器なども陳列している。12歳以下の拝観は不可なので注意。
醍醐天皇が母胤子の供養のため昌泰3年(900)に創建。天皇家や藤原家の帰依を受け門跡寺院として発展した。江戸時代初期の書院(重要文化財)は落ち着いた佇まいを見せる。前庭には水戸光圀が寄進したという、背が低く大きな笠を乗せた「勧修寺型」の灯籠があり、針状の葉をもつ推定樹齢750年のハイビャクシンが広がる。スイレンに彩られる氷室池を中心とする池泉舟遊式の広大な庭は、平安の昔を偲ばせる優雅さで迎えてくれる。平安時代には、この池に張る氷の厚さでその年の農作物の豊凶が占われたと伝わる。
臨済宗大徳寺派の大本山大徳寺の塔頭の一つ。表門と本堂(方丈)は、ともに国の重要文化財に指定されており、大徳寺最古の建築。四方を趣の異なる4つの庭に囲まれている。方丈の北に枯山水の龍吟庭[りゅうぎんてい]、南に苔が美しい一枝坦[いっしだん]の庭、東に東滴壺[とうてきこ]と呼ぶ坪庭がある。
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