
安楽寺
哲学の道から少し入ったところにある寺で、毎年7月25日に行われるかぼちゃ供養で有名。後鳥羽上皇の女官だった松虫姫と鈴虫姫が、法然上人の弟子、住蓮と安楽の説法に感化され尼僧になったため、怒った上皇により僧2人は死罪、法然も讃岐国(香川県)に流された。これを知った両姫は広島県生口島光明坊に転居したといい、今も境内には、住蓮、安楽の五輪石塔と松虫、鈴虫の小さな墓がある。
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哲学の道から少し入ったところにある寺で、毎年7月25日に行われるかぼちゃ供養で有名。後鳥羽上皇の女官だった松虫姫と鈴虫姫が、法然上人の弟子、住蓮と安楽の説法に感化され尼僧になったため、怒った上皇により僧2人は死罪、法然も讃岐国(香川県)に流された。これを知った両姫は広島県生口島光明坊に転居したといい、今も境内には、住蓮、安楽の五輪石塔と松虫、鈴虫の小さな墓がある。
南禅寺の塔頭。広大な敷地内に枯山水庭園と池泉回遊式庭園がある。
三千院と並んで大原を代表する寺。平清盛の娘・建礼門院徳子[けんれいもんいんとくこ]が、わが子、安徳天皇や平家一門の菩提を弔いながら、余生を過ごした。後白河法皇が建礼門院を訪れた『平家物語』の大原御幸[ごこう]でも知られる。本尊は木造地蔵菩薩立像。夏は沙羅の花、秋は紅葉が美しく境内には『平家物語』ゆかりの汀[みぎわ]の池、汀の桜などもある。旧本尊が重要文化財に指定されており、期間限定で特別公開もしている。
安産や子授けのご利益で有名なため、妊産婦の参拝者が多い。安産御守の本体である稲藁に節があれば男児を、なければ女児を授かるという珍しい信仰が人気を集めている。また、境内の六勝[ろくしょう]神社は「六つかしいことに勝つ」とも読めることから、必勝、成功、開運、合格祈願の神様として崇敬される。
秦氏の氏寺。秦河勝[はたのかわかつ]が聖徳太子から賜った仏像を奉じて、一宇を創建したのが起こりと伝わる。宝冠弥勒菩薩半跏思惟像(国宝)が安置されている。宝髻[ほうけい]弥勒菩薩半跏思惟像(国宝)は、泣いたような表情から泣き弥勒と呼ばれる。ほかにも国宝・重要文化財の仏像を多数所蔵。赤堂と愛称される講堂(重要文化財)は、藤原末期の建築。
渡月橋を見下ろす高台に建ち、「嵯峨の虚空蔵さん」と親しまれてきた。『枕草子』の「寺は」では「壺坂、笠置、法輪」と並び称せられ、院政期には多くの人々の信仰を集めて隆盛を誇った寺。現在は十三まいりで親しまれ、毎年4月13日、13歳になった子供が法輪寺の虚空蔵菩薩に智恵と福徳を授かりに行く。思い思いの1字を墨で書いて奉納した後、渡月橋を渡って帰る時に、後ろを振り返るとせっかく授かった智恵を返してしまうとの言い伝えがある。
嘉祥3年(850)に文徳天皇によって創建されたが応仁の乱後荒廃した。しかし、寛文2年(1662)に再興。1本の釘も使っていない総欅造りの本堂に秘仏の歓喜天(聖天)と毘沙門天、弁財天という3体の福神を祭るため、地元の信仰を集めている。
京都で最も賑やかな錦市場のほど近くにある天満宮。ご祭神は菅原道真公で、学問の祈願はもちろん、市場に近いことから商売繁昌にもご利益があると伝わる。錦の天神さんとよばれ、親しまれている。
三条通を上った所にある矢田寺は、奈良・矢田寺の元別院。本尊の地蔵菩薩は諸願成就にご利益があるとされる。8月16日の五山の送り火に合わせ、精霊を冥土へ送る「送り鐘」を撞く寺として有名だ。
慶長10年(1605)、伏見城の化粧御殿と庭園を移築したのが起こり。夫・秀吉の死後、出家して高台院となった北政所ねねが伏見城の化粧御殿を移築し、寺に改めた高台寺の塔頭。印象の違う2つの庭に加え、桃山時代の画家・長谷川等伯の襖絵など、多くの重要文化財も有している。境内には高台寺の宝物などを展示する掌美術館も併設。春と秋の夜間ライトアップは幻想的な雰囲気。「秀吉公ゆかりの神仏への献茶手前」という特別茶席も行っている(拝観料別2000円)。神仏への献茶法を元に、古田織部が考案し秀吉が絶賛した最上位の武家点前。武士の覚悟が表現されている。記念扇子付き。ライトアップ期間の拝観時間は10~22時(受付終了21時30分)。
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