東山手甲十三番館
明治中期に建てられた洋館。ハートリーフが人気の憩いのスポット。コーヒーがとてもおいしい。
- 「大浦海岸通駅」から徒歩5分/「メディカルセンター駅」から徒歩5分
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明治中期に建てられた洋館。ハートリーフが人気の憩いのスポット。コーヒーがとてもおいしい。
風頭公園内の龍馬の像の隣にある。司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』の一節を抜粋した文学碑。長崎に込めた龍馬の期待が伝わってくる。
文久3年(1863)に日本最初の西洋料理の店が開店した地。のちに長崎市馬町へ移転。建物は現在グラバー園へ「旧自由亭」として移設されている。
龍馬通り沿いにある長崎市亀山社中記念館そばのポケットパークにあるモニュメント。日本で初めてブーツを履いた男こと坂本龍馬にちなみ、亀山社中設立130年を記念して平成7年(1995)に作られたもの。船の舵輪の前に置かれた長さ60cm、幅20cm、高さ40cmのブロンズ製のブーツは、実際足を入れることもできるので試し履きをしてみよう。長崎港をはじめ長崎の街並みが一望できるここからの景観は、長崎市都市景観賞も受賞している。
旧長崎医科大学(現在の長崎大学医学部)は、爆心地から約600mのところにあり、原爆による爆風をまともに受けた高さ1.8mの石造りの門柱が前へ9cmずれ、約10度傾いている。
明治元年(1868)に建設された三角屋根が目印のこの洋館は、ロシア領事館として使用されていたもの。東山手地区では、当時の領事館で現存する最古の建物であり、その後はアメリカの領事館やアメリカ宣教師の住宅に使用された。幅の広い廊下やゆったりとしたベランダなどに、領事館時代の面影を見ることができる。現在は私学歴史資料館となっていて、居留地時代の私学の歴史を今に伝えている。所要20分。
寛永18年(1641)に平戸より移され、218年間唯一のヨーロッパとの貿易の窓口だったオランダ商館の跡地。現在19世紀初頭の出島を復元する事業が進行中。16棟の復元建物等を見学でき、発掘調査により出土した品々や、当時の生活を再現した空間がみどころ。平成29年(2017)11月に出島表門橋が完成し、江戸時代と同じように、橋を渡って出島に入れるようになった。
島原の下級武士が住んでいた屋敷跡。鉄砲を主力とする徒士部隊の住居だったため、鉄砲町ともよばれている。石垣が続く町筋は情緒たっぷり。道の中央を流れる小さな水路は、かつて島原の湧水を利用し生活用水に使われていたもので、今も流れは清らかだ。山本・篠塚・鳥田邸の3軒が無料開放されている。
元禄2年(1689)、江戸幕府が密貿易を防ぐことなどを目的として、唐人を集め、住まわせた屋敷の跡地。唐館ともよばれた建物群には約2000人が住み、周囲は塀や堀で囲われ外界から隔離されていた。現在、土神堂[どじんどう]、天后堂[てんこうどう]、観音堂、福建[ふっけん]会館が市の文化財や史跡に指定されている。
有明海に突き出した標高30mの丘上にある城跡。慶長9年(1604)、有馬貴純が日野江城の支城として築城。南北1.3km、東西0.5kmの城跡は、石垣で囲まれた本丸、二ノ丸、三ノ丸、天草丸などから成り、戦国時代の石積技術を使用した城郭だった。キリシタン大名・有馬晴信の失脚後、慶長20年(1615)に廃城。寛永14年(1637)の島原・天草一揆(島原の乱)では約3万7000人の領民が88日間たてこもり、約12万人余の幕府軍と戦った末、全滅。城跡からは数多くの砲弾や人骨、十字架などが出土し、一揆の総大将・天草四郎時貞のものといわれる墓碑や石像、多数の骨を集めて供養したほねかみ地蔵が、かつての悲劇を伝えている。国指定史跡で、世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成遺産でもある。
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