東山手十二番館
明治元年(1868)に建設された三角屋根が目印のこの洋館は、ロシア領事館として使用されていたもの。東山手地区では、当時の領事館で現存する最古の建物であり、その後はアメリカの領事館やアメリカ宣教師の住宅に使用された。幅の広い廊下やゆったりとしたベランダなどに、領事館時代の面影を見ることができる。現在は私学歴史資料館となっていて、居留地時代の私学の歴史を今に伝えている。所要20分。
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明治元年(1868)に建設された三角屋根が目印のこの洋館は、ロシア領事館として使用されていたもの。東山手地区では、当時の領事館で現存する最古の建物であり、その後はアメリカの領事館やアメリカ宣教師の住宅に使用された。幅の広い廊下やゆったりとしたベランダなどに、領事館時代の面影を見ることができる。現在は私学歴史資料館となっていて、居留地時代の私学の歴史を今に伝えている。所要20分。
平成27年(2015)登録の世界遺産。19世紀後半から20世紀初頭にかけて、急速に発展した製鉄・鉄鋼・造船・石炭産業関連の近代産業の遺産群。幕末の日本は西洋から技術や知識を吸収し、明治期に近代産業の基盤を確立。構成は長崎県をはじめ福岡、佐賀、熊本、鹿児島、山口、岩手、静岡の8県11市にわたり、長崎県の旧グラバー住宅、山口県萩や静岡県韮山の反射炉、岩手県釜石の鉄鉱山、九州各地の炭鉱や造船所など、23の構成資産から成る。
豊臣秀吉のキリシタン禁止令によって捕えられたフランシスコ会の司祭と修道士6人と日本人修道士と信者20人が慶長元年(1597)に処刑された場所。キリストが十字架に架けられたゴルゴタの丘に似ていることから、信者たちがこの地を処刑の場に願い出たといわれている。26聖人の殉教以降も多くの人々がこの地で処刑されたという。太平洋戦争後公園化され、昭和25年(1950)には、ローマ教皇・ピオ十二世がこの地をカトリック教徒の公式巡礼地と定めている。長崎県指定史跡でもあり、園内には26聖人が処刑されて100年目の昭和37年(1962)に、彫刻家・舟越保武作の等身大の嵌込[はめこみ]ブロンズ像の記念碑「昇天のいのり」とキリシタンに関する資料が豊富な「日本二十六聖人記念館」が建てられた。
薩摩藩とスコットランド出身の商人トーマスグラバーによって明治元年(1869)に完成。日本最古の蒸気機関を動力として船架(船を乗せる台)ごと曳き揚げる装置を有した洋式スリップドック。当時の船架は現存しないが、ドックの形がそろばんに似ていたため「ソロバンドック」とも呼ばれていた。現在は国の史跡に指定されている。平成27年(2015)明治日本の産業革命遺産に登録された構成資産の1つ。
有明海に突き出した標高30mの丘上にある城跡。慶長9年(1604)、有馬貴純が日野江城の支城として築城。南北1.3km、東西0.5kmの城跡は、石垣で囲まれた本丸、二ノ丸、三ノ丸、天草丸などから成り、戦国時代の石積技術を使用した城郭だった。キリシタン大名・有馬晴信の失脚後、慶長20年(1615)に廃城。寛永14年(1637)の島原・天草一揆(島原の乱)では約3万7000人の領民が88日間たてこもり、約12万人余の幕府軍と戦った末、全滅。城跡からは数多くの砲弾や人骨、十字架などが出土し、一揆の総大将・天草四郎時貞のものといわれる墓碑や石像、多数の骨を集めて供養したほねかみ地蔵が、かつての悲劇を伝えている。国指定史跡で、世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成遺産でもある。
世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産「頭ヶ島の集落」の中心となる教会。教会の始まりは、慶応2年(1867)に上五島地域の潜伏キリシタンの頭目であったドミンゴ松次郎が頭ヶ島の白浜に移住し、自宅を「仮の聖堂」としたことから。現在の天主堂は2代目で、信徒らの労働奉仕と10年の歳月をかけて大正8年(1919)に完成。設計・施工は鉄川與助。五島石を使った外観は力強い組石造りだ。八角形の銅板張りのドーム屋根を冠した塔屋が印象的だ。内部は単廊式で、船底のような折上天井は、ハンマー・ビーム架構という特殊な工法で造られている。内装には随所に五島列島の椿をモチーフにした装飾がなされ「花の御堂」の愛称も。国指定重要文化財。頭ヶ島パーク&ライドによりアクセスに要注意。
オランダ坂に面して並ぶ7棟の木造建築の洋館。明治20年代後半に賃貸住宅等として建てられたもので、7棟のうち6棟が見学できる。東山手地区町並み保存センターでは、外国人居留地時代の様子を写真やビデオで紹介。3棟を利用した古写真資料館は、写真の開祖・上野彦馬の資料や明治・大正期の長崎に関する写真を多数展示している。埋蔵資料館では、江戸時代の遺跡の出土品などが見学できる。国際交流の拠点でもある東山手「地球館」cafe slowでは身体にやさしいランチやスイーツなどを提供。
中通島の一角、頭ヶ島や平島を望む海岸沿いに整備された広場。慶応2年(1866)5月、坂本龍馬が組織した亀山社中が所有する洋型木造帆船ワイル・ウエフ号が潮合崎[しおやざき]沖で遭難。寺田屋事件で受けた傷で療養中だった龍馬は、この地に駆け付け村役に慰霊碑の建立を依頼したという。広場には「龍馬ゆかりの地」と記された碑とワイル・ウエフ号の舵取り棒のレプリカがあり、池内蔵太ら12名の若き志士たちの冥福を祈る龍馬のブロンズ像が潮合崎沖を望んで立つ。実物の舵取り棒は、広場近くにある民宿「潮騒」に保管されている。
北村西望[せいぼう]作の平和祈念像がある公園。像の高く掲げた手は原爆の脅威を、水平に伸ばした手は平和を象徴、閉じた目は戦没者の冥福を祈っている。園内には平和の泉があり、世界各国から寄贈された平和を象徴するモニュメントがある。原爆投下時、この地にあった浦上刑務所の壁の一部も残っている。
長崎港ターミナルの突端にある高さ2m30cmの巨大な錨は、大正時代以前に製造され、現役時代に港内の係船ブイを固定するために沈んでいた。ここからは、三菱造船所や稲佐山をバックに撮影できるスポットで、パノラマの海の景色が広がり気分爽快。
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