
恋人の聖地「厚田展望台」
平成18年(2006)7月、北海道で初めて「恋人の聖地」として選出されたスポット。雄大な海岸線や日本海に沈む夕日が大変美しく見える展望台。「誓いの鐘」や恋人たちが固く結ばれることを願ってかける、南京錠を取り付けるためのフェンスが設置されている。平成30年(2018)4月下旬、恋人の聖地のふもとのあいろーどパーク内に道の駅石狩「あいろーど厚田」がオープン。
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平成18年(2006)7月、北海道で初めて「恋人の聖地」として選出されたスポット。雄大な海岸線や日本海に沈む夕日が大変美しく見える展望台。「誓いの鐘」や恋人たちが固く結ばれることを願ってかける、南京錠を取り付けるためのフェンスが設置されている。平成30年(2018)4月下旬、恋人の聖地のふもとのあいろーどパーク内に道の駅石狩「あいろーど厚田」がオープン。
大正時代に6年半の歳月をかけて建てられた。ニシン漁で財を築いた、祝津の大網元・青山家の別荘。おもにケヤキを建築材として、欄間から引き戸の細部に至るまで宮大工の手により完成させた大邸宅だ。「国登録有形文化財」に指定されている。邸内の襖には、当時一流絵師や書家による作品が残されている。所要30分。
国道5号から小樽商科大学へ向かう地獄坂を登った、JR小樽駅裏手の小高い丘の上にある展望台。小樽市街が一望でき、天気がよければ石狩湾や暑寒別岳[しょかんべつだけ]も遠くに望める。展望台のすぐ近くには、小樽ゆかりのプロレタリア作家・小林多喜二の文学碑が建つ。展望台への車道は冬期閉鎖。
明治13年(1880)、道内初の鉄道・幌内鉄道の開通(小樽・手宮~札幌間)をきっかけに、物資の集積地として発展した小樽。明治後半~昭和初期にかけて、色内地区には当時の流行を取り入れた銀行建築などが立ち並んだ。現在それらの建物の一部は資料館やレストランとして再利用されている。
日本海を望む岬の先端に建つ。明治30年(1897)、北海道の日本海沿岸がまだニシン漁で栄えていた時代、積丹[しゃこたん]の網元・田中福松によって泊村に建築され、昭和33年(1958)に現在地へ移築された。当時は120名ものヤン衆(出稼ぎの漁夫)が寝泊まりしていたという。現存する鰊御殿の中では最大級の規模を誇る。所要30分。
駅に向かって浅草通り(日銀通り)を行くと、かつて中央銀行として機能した、界隈でもひと際目を引く建物が現れる。竣工は明治45年(1912)で、設計は日本近代建築の先駆者・辰野金吾とその弟子ら。レンガの上にモルタルを塗り石造り風に造られていて、小樽市指定有形文化財に指定されている。内部は金融資料館として公開。日本銀行の歴史や業務をわかりやすく解説。1億円(模擬)の重さや偽造防止技術も体験できる。
明治時代にイギリス人技師によって設計され、千歳市の有形文化財に指定されている支笏湖山線鉄橋。昭和26年(1951)まで使用されていたが、鉄道の廃止後は歩道橋として利用されている。
昭和25年(1950)に発見された約1500~2000年前(続縄文時代)の遺跡。洞窟の内壁には人物や動物、舟などを描いたと思われる刻画が見られる。
明治44年(1911)に開通し、昭和62年(1987)に廃線となった大夕張鉄道。駅舎は解体されたが、保存会の手によって国内最古の石炭貨車やラッセル車などの車両6両が、ホームに横付けされた形で保存されている。廃線跡をめぐるツアーも人気だ。平成19年(2007)、経済産業省近代産業遺産認定。
大正12年(1923)、元北海道拓殖銀行函館支店が鉄筋コンクリート造りで新築された際に、その建物との釣り合いのために特別に建てたのがこの電柱。なんと今でも現役だ。当時としては珍しい角柱形のコンクリート製であるのは、昔から函館が大火の多い街であることを考慮したもの。二十間坂を下り、明治館方面へと歩くとある。周辺には明治から大正当時の建物が現存しているので、あわせて見てみたい。
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