
発心門王子
熊野の神々を祭る熊野本宮大社の神域に入る地に立つとされた重要な王子社。発心とは仏門に入り修行を始めることで、ここが聖域への入口を意味している。現在では鳥居と朱色の社殿があり、秋には周囲の木立が紅葉に染まる。
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熊野の神々を祭る熊野本宮大社の神域に入る地に立つとされた重要な王子社。発心とは仏門に入り修行を始めることで、ここが聖域への入口を意味している。現在では鳥居と朱色の社殿があり、秋には周囲の木立が紅葉に染まる。
国道370号沿いにあり、550年代に創建された古社。本殿、拝殿、摂社武内神社本殿、刀剣など国の重要文化財が多数ある。
『紀伊続風土記』などによると、欽明天皇の時代の創建と伝わる。室町時代に建てられた本殿や楼門、拝殿などの建物と鎌倉時代に作られたの短刀が国の重要文化財に指定。毎年10月1日に行われる秋祭りでは、豊作を祈願する田楽や獅子舞が奉納される。稲むらの火の物語で村の人たちが避難した場所にあたり、境内には濱口梧陵の碑が立つ。稲むらの火祭りは毎年10月第3土曜開催。
正嘉2年(1258)に源実朝を弔うために建立された寺で、法燈国師[ほっとうこくし](覚心)が開祖である。覚心は、醤油の誕生のきっかけとなった径山寺[きんざんじ]味噌の製法を宋から持ち帰り、この地に伝えた人物。また、虚無僧[こむそう]4名を宋から伴って帰国し、全国に普化[ふけ]尺八を広めたことでも知られ、毎年10月13日の開山忌[かいさんき]には尺八の献奏も行われる。8月15日の孟蘭盆会[うらぼんえ]の灯籠焼き(火祭り)の踊りは、和歌山県指定無形民俗文化財。
臨済宗妙心寺派の古刹。世界平和を祈願する高さ5mもの白いダルマ坐像が門前に鎮座し、「だるま寺」の異名をとる。本堂裏の庭園では4~5月にツツジやシャクナゲが咲き誇る。
小栗判官を中興の祖とする古刹。小栗は湯の峰温泉に向かう途中、病気になった愛馬の回復をこの寺で祈願。たちまち全快したことに感激し、堂宇を再建したと伝わる。今では開運厄除の霊場として広く信仰されており、山上に諸堂が点在している。
奥之院御廟の前室として、真然[しんぜん]が創建。奥之院参道正面の石段上にあり、弘法大師へ献上するたくさんの灯籠が堂内いっぱいに下げられている。なかでも長和5年(1016)、祈親[きしん]上人が高野山の復興を祈念して献灯した祈親燈は、貧しいお照という娘が髪を切って売り、献じたものと伝えられ、俗称「貧女の一灯」ともいわれる。寛治2年(1088)に白河法皇が献じた白河燈とともに「消えずの燈明」とよばれ、絶えることなく燃え続けている。建物は昭和中期の改築で、地下には多数の奉納燈籠が並ぶ「地下法場」もある。
1000年以上の歴史がある神社。徳川頼宣が和歌山城に入城してから城の守り神となり、吉宗の誕生時、この社の宮司が仮の親になったという。神馬の像は吉宗の寄進とされる。
桃山町から高野街道をたどる山間にある。主要な建物である本殿や大日堂は室町時代に建立されたもので、いずれも重要文化財に指定されている。
古代から中世にかけて、熊野三山へ参拝する上皇・法皇が宿泊。王子の中でも格式の高い五躰王子の一つ、藤白王子跡。子授け・安産・健康・長寿の神様として今も信仰を集めている。近くには全国の鈴木姓のルーツともなった、鈴木氏の鈴木屋敷がある。熊野古道筋に唯一残る、熊野本地仏三躰が藤白王子権現本堂に祀られている。神仏霊場。平成27年(2015)10月に熊野参詣道紀伊路(藤白王子、藤白坂塔下王子など)が国指定史跡に認定された。
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