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高野山大師教会は壇上伽藍そばに立つ、高野山真言宗の布教や御詠歌、宗教舞踊などの総本部で、各種研修会や講習会が開催されている。高野山で真言密教を体験するなら、ここで行われている写経会や授戒、金剛流御詠歌などに参加を。写経は、香を焚き浄められた写経室で、下地に写る般若心経の262文字を作法に従い姿勢を正して墨で1字ずつなぞり書きする。大講堂奥の授戒堂で行われる御授戒では、静寂と闇に包まれて真言密教の戒律「菩薩十善戒」を授かることができる。
奥之院とともに高野山の二大聖地とされるのが「壇上伽藍」。真言密教の根本道場のために弘法大師が最初に着手し創建した密教伽藍で、「胎蔵曼荼羅」の世界を表しているといわれている。壇上伽藍の“壇上”は仏様の世界、“伽藍”は諸堂が集まっている場所、という意味をもつ。壇上伽藍境内には、高野山一山の総本堂である金堂を中心に、壇上伽藍のシンボルである根本大塔や弘法大師御影像を奉安する御影堂、大会堂、東塔、西塔など19もの御堂が立ち並んでいる。
薬師橋のたもとにあるお堂に十二薬師像を祭る川湯温泉の守護神。もとは対岸に祭られていたものを温泉街側に移した故事から、毎年1月12日には川湯十二薬師祭が行われる。対岸に渡した綱に「揚げ物」と呼ばれる巨大な張子の干支や人気キャラクターなどが2月中旬まで飾られ、訪れる人の目を楽しませてくれる。
紀州徳川家の菩提寺。初代藩主・頼宣の正室や吉宗夫人の寛徳院など、歴代藩主夫人の墓所が境内にある。
有田市東部にある浄土宗西山派の末寺。琴の名手で天皇から三位の位と中将の名を賜った中将姫ゆかりの寺だ。その昔、姫の名声をねたんだ継母が伊藤春時に殺害を命じる。が、姫の徳に打たれた春時は、逆に剃髪し、名を得生と改め姫を守った。このことが名の起こりといわれる。姫がハスの糸で織った浄土曼荼羅図などの寺宝も、予約しておけば拝観できる。また、毎年5月14日には、中将姫が極楽浄土に旅立つ様子を表した中将姫来迎大会式[らいごうだいえしき]が盛大に行われる。
那智熊野大社と並んでたたずむ、西国三十三カ所第1番札所。補陀洛山寺[ふくだらくさんじ]と同様、裸形[らぎょう]上人が開いたといわれ、熊野詣の重要拠点として栄えた。織田信長の兵火で焼失するが、天正18年(1590)豊臣秀吉が再建。最盛時には7カ寺36坊を有したが、明治時代の廃仏毀釈[はいぶつきしゃく]で入母屋造の本堂(重要文化財)を残して、ほとんどが失われてしまった。本堂と那智滝の中間に立つ高さ25mの朱塗りの三重塔は、昭和47年(1972)に再建され、三層の展望台からは那智の滝の全貌を望むことができる。
妙法山の山頂付近にある真言宗の名刹。弘仁6年(815)に空海(弘法大師)が開基し、その後鎌倉時代になって心地覚心(法燈国師)が再興した。山門をくぐると正面が本堂で、すぐ左側に有名な「ひとつ鐘」がある。熊野では人が亡くなると霊魂は枕元のシキミという木の枝を持ってこの妙法山に飛び「ひとつ鐘」を撞いてからあの世に旅立って行くと信じられていて、宗旨を問わず親族が亡くなるとその遺髪、遺骨を納めに来る「おかみあげ」という風習が鎌倉時代より続いている。頂上の奥の院周辺には信者たちが供えたシキミが根付き群生していて、妙法山は別名シキミ山とも呼ばれる。
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