壇上伽藍 根本大塔
高野山壇上伽藍にあり、高さ約50mの5間4面の多宝塔で真言密教の根本理念を表す。弘法大師が着手し、2代座主の真然大徳[しんぜんだいとく]のときに完成。天保14年(1843)に焼失し、以後再建されずにいたが、昭和12年(1937)に再建。内部は大日如来の本尊を中心に東西南北に金剛界四仏を置き、周囲の柱に十六大菩薩を配し、曼陀羅を立体的に表している。
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高野山壇上伽藍にあり、高さ約50mの5間4面の多宝塔で真言密教の根本理念を表す。弘法大師が着手し、2代座主の真然大徳[しんぜんだいとく]のときに完成。天保14年(1843)に焼失し、以後再建されずにいたが、昭和12年(1937)に再建。内部は大日如来の本尊を中心に東西南北に金剛界四仏を置き、周囲の柱に十六大菩薩を配し、曼陀羅を立体的に表している。
平安時代初期の弘仁7年(816)に、弘法大師(空海)が開山した真言密教の聖地。本来は、高野山全体が「総本山金剛峯寺」であり、「一山境内地」といわれるように高野山全域がその境内地だ。高野山という山はなく、周囲を8つの峰に囲まれた標高約900mの山上盆地に、国指定史跡の壇上伽藍と奥之院の二大聖地を中心に117カ寺が集い、一大宗教都市を形成。ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産にも登録されており、今もなお大師信仰を求める参拝客をはじめ、観光や宿坊体験、森林セラピーなどで多くの人々が訪れる。
弘法大師(空海)が弘仁7年(816)に開いた真言密教の聖地・高野山。その高野山で最も清浄な聖地が大師入定の御廟がある奥之院。奥之院入口となる一の橋(大渡橋[おおばし])から燈籠堂・御廟まで、鬱蒼と茂る杉木立の参道が約2kmに渡って続き、参道沿いには20万基以上もの墓石や供養塔が並び立って戦国大名などの墓を訪ね歩くことができる。玉川に架かる御廟橋を渡ると、拝堂の燈籠堂とその背後に承和2年(835)に入定した大師の御廟が立つ。燈籠堂には貧女の一灯や長者の万灯(白河燈)と呼ばれる常明燈のほか2万基もの献燈が灯り壮観だ。
和歌山県新宮市に鎮座し、源頼朝寄進の538段の急峻な石段を上ると、大きなゴトビキ岩が聳える。この巨岩が古くからの御神体で、熊野の神々が初めに降りたった聖地として、太古より神の磐座として崇められてきた。現在は神倉神社として高倉下命[たかくらじのみこと]と天照大神[あまてらすおおみかみ]を祀る。日本最古の火祭り「お燈祭」(国指定重要無形民俗文化財)でも有名。毎年2月6日に白装束に荒縄を巻いた2000人もの上り子が松明を手に急な石段を駆け下りる。新宮節に「山は火の滝、下り龍」と歌われるほど勇壮な火祭りだ。
高野山大師教会は壇上伽藍そばに立つ、高野山真言宗の布教や御詠歌、宗教舞踊などの総本部で、各種研修会や講習会が開催されている。高野山で真言密教を体験するなら、ここで行われている写経会や授戒、金剛流御詠歌などに参加を。写経は、香を焚き浄められた写経室で、下地に写る般若心経の262文字を作法に従い姿勢を正して墨で1字ずつなぞり書きする。大講堂奥の授戒堂で行われる御授戒では、静寂と闇に包まれて真言密教の戒律「菩薩十善戒」を授かることができる。
壇上伽藍の境内の蓮池畔に立つ、高野山内に現存する建物の中で最古の堂。建久9年(1198)に行勝上人が一心院谷に創建したものを明治時代にこの地に移築した。勾配のゆるい檜皮葺きの屋根を持つ現在の建物は鎌倉時代後期のものといわれ、国宝に指定。本尊の不動明王坐像(国指定重要文化財)と運慶作の八大童子立像(国宝)はいずれも高野山霊宝館に収蔵されている。不動堂の拝観は外観のみ。
熊野那智大社の別宮。祭神は大己貴命[おおなむちのみこと](大国主命)。那智の滝そのものを御神体とする神社で本殿はなく、滝に続く参道を下りると真正面に石の鳥居がある。参入料を納めると滝壺そばのお滝拝所に行くことができ、欄干の付いた滝見台に立つと目の前で飛沫がはじけ、それが霧となって周囲を包んでいくさまが実感できる。昔から、滝の飛沫にふれると延命長寿の霊験があると信じられ、参拝者が絶えない。壺の水を引いた神水もあり、飲むことができる。国指定名勝・世界遺産。
弘法大師によって慈尊院とともに創建された古社。天照大御神の御妹神で地主神の丹生都比売大神[にうつひめのおおかみ]の御子・高野御子大神[たかのみこのおおかみ](狩場明神)が猟師の姿で現れ、従えていた2頭の犬を放たれ大師を高野山に導いたことから祀られた。また、朝廷(国)から免税などの特権のある官省符を下賜されたと伝わる。天文10年(1541)に再建された本殿は3棟からなり、国の重要文化財に指定されている。いずれも一間社春日造、檜皮葺。極彩色の美しい社殿だ。文化財として鼎、獅子頭等、また、真田幸村が奉納したと伝えられる太刀を所蔵する。
女人道は高野山の聖地周囲の山々をめぐる尾根伝いの道。明治5年(1872)まで、女性は高野山内への入山が禁じられていたため、やむなく高野七口と呼ばれた山内への入口をたどって、遠く弘法大師の御廟を遥拝するしかなかったのだ。1000m級の山々をつたい、木立を縫う細道が今も残されていて、森林浴を楽しめるハイキングコースとして歩くことができる。女人堂が残る不動坂口から奥の院までの半周コースは、弁天岳に登り、大門前を通って、相浦口、大滝口、大峯口を経て奥の院前へ。
那智熊野大社と並んでたたずむ、西国三十三カ所第1番札所。補陀洛山寺[ふくだらくさんじ]と同様、裸形[らぎょう]上人が開いたといわれ、熊野詣の重要拠点として栄えた。織田信長の兵火で焼失するが、天正18年(1590)豊臣秀吉が再建。最盛時には7カ寺36坊を有したが、明治時代の廃仏毀釈[はいぶつきしゃく]で入母屋造の本堂(重要文化財)を残して、ほとんどが失われてしまった。本堂と那智滝の中間に立つ高さ25mの朱塗りの三重塔は、昭和47年(1972)に再建され、三層の展望台からは那智の滝の全貌を望むことができる。
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