
須賀神社
平安時代に京都の八坂神社の神を勧請し、南部庄の総鎮守として祭ったことに始まる。明治時代までは祇園御霊宮と称し、今も地元では「御霊さん」と呼ばれる。現在の春日造の本殿は江戸中期以後の建立。極彩色に塗られた豪華なもので、和歌山県文化財に指定。
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平安時代に京都の八坂神社の神を勧請し、南部庄の総鎮守として祭ったことに始まる。明治時代までは祇園御霊宮と称し、今も地元では「御霊さん」と呼ばれる。現在の春日造の本殿は江戸中期以後の建立。極彩色に塗られた豪華なもので、和歌山県文化財に指定。
9世紀半ばの貞観[じょうがん]年間の創建と伝えられ、平安末期の経塚銅鏡などの発掘が続いている。社宝の人物画象鏡(国宝)は、わが国最古の金石文(48文字の銘文)の入った鏡として有名。現在、東京国立博物館に保管され、ここでは記念碑(実物の約5倍の大きさ)が見られる。和歌山県指定無形民俗文化財に指定されている10月スポーツの日前日(日曜)に開催の秋まつりでは、大人100人が担ぐだんじりの宮入、渡御が勇壮かつ厳粛に行われる。
女人道は高野山の聖地周囲の山々をめぐる尾根伝いの道。明治5年(1872)まで、女性は高野山内への入山が禁じられていたため、やむなく高野七口と呼ばれた山内への入口をたどって、遠く弘法大師の御廟を遥拝するしかなかったのだ。1000m級の山々をつたい、木立を縫う細道が今も残されていて、森林浴を楽しめるハイキングコースとして歩くことができる。女人堂が残る不動坂口から奥の院までの半周コースは、弁天岳に登り、大門前を通って、相浦口、大滝口、大峯口を経て奥の院前へ。
龍神温泉元湯前の高台に立つ温泉寺は、弘法大師が開湯の折に瑠璃光薬師如来[るりこうやくしにょらい]を安置した草庵が始まり。宝永2年(1705)に明算[みょうざん]という僧侶が頑固な腫れ物を治した礼に薬師堂を再建したといわれる。
薬師橋のたもとにあるお堂に十二薬師像を祭る川湯温泉の守護神。もとは対岸に祭られていたものを温泉街側に移した故事から、毎年1月12日には川湯十二薬師祭が行われる。対岸に渡した綱に「揚げ物」と呼ばれる巨大な張子の干支や人気キャラクターなどが2月中旬まで飾られ、訪れる人の目を楽しませてくれる。
和歌山県新宮市に鎮座し、源頼朝寄進の538段の急峻な石段を上ると、大きなゴトビキ岩が聳える。この巨岩が古くからの御神体で、熊野の神々が初めに降りたった聖地として、太古より神の磐座として崇められてきた。現在は神倉神社として高倉下命[たかくらじのみこと]と天照大神[あまてらすおおみかみ]を祀る。日本最古の火祭り「お燈祭」(国指定重要無形民俗文化財)でも有名。毎年2月6日に白装束に荒縄を巻いた2000人もの上り子が松明を手に急な石段を駆け下りる。新宮節に「山は火の滝、下り龍」と歌われるほど勇壮な火祭りだ。
小栗判官を中興の祖とする古刹。小栗は湯の峰温泉に向かう途中、病気になった愛馬の回復をこの寺で祈願。たちまち全快したことに感激し、堂宇を再建したと伝わる。今では開運厄除の霊場として広く信仰されており、山上に諸堂が点在している。
高野山大師教会は壇上伽藍そばに立つ、高野山真言宗の布教や御詠歌、宗教舞踊などの総本部で、各種研修会や講習会が開催されている。高野山で真言密教を体験するなら、ここで行われている写経会や授戒、金剛流御詠歌などに参加を。写経は、香を焚き浄められた写経室で、下地に写る般若心経の262文字を作法に従い姿勢を正して墨で1字ずつなぞり書きする。大講堂奥の授戒堂で行われる御授戒では、静寂と闇に包まれて真言密教の戒律「菩薩十善戒」を授かることができる。
源頼朝の菩提を弔うために妻の北条政子が創建。建暦元年(1211)の創建当時は禅定院とよばれていたが、貞応2年(1223)、現在の寺号に改めて、多宝塔(国宝)を建立。鎌倉時代には、高野版とよばれる経典による教学の拠点で、高野山の中心的存在であった。大火の類焼を免れた寺の境内には、運慶作といわれる五智如来坐像(重要文化財)を安置する多宝塔のほか、鎌倉・室町時代の建築物が残る。客殿(重要文化財)は、江戸時代の建築だが、大広間にある襖絵『金地著色梅花雉子図』は雄大華麗な作風が見事で、秘仏の十一面千手観音像、本尊愛染明王像とともに国の重要文化財に指定。寺は宿坊も兼ねており、宿泊者は客殿内部の見学も可。所要1時間。
インドから熊野の海岸に漂着した裸形上人[らぎょうしょうにん]が開山した寺。本尊は千手千眼観世音菩薩像(重要文化財)で、平安時代に作られたもの。補陀洛とは古代サンスクリット語の「ポータラカ」の音訳で、観音菩薩の住む浄土を意味する。かつて那智の浜は補陀洛浄土に通じていると信じられ、この寺の住僧は臨終間際になるとわずかな食料を屋形付きの小舟に積み、扉を封印して、補陀洛へと旅立った。これを補陀洛渡海[ふだらくとかい]という。境内には渡海船が復元されているほか、隣には熊野詣の際、潮垢離[しおごり]をしたといわれる浜ノ宮王子跡に、熊野三所大神社[おおみやしろ]が立つ。
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