
塩竈神社
玉津島神社に隣接するもと玉津島神社の祓所[はらいじょ]。海の幸、安産の神様として親しまれてきた神社で、主祭神の塩槌翁尊[しおづちのおじのみこと]は輿の窟[こしのいわや]とよばれる岩穴に鎮座する。傍らに山部赤人[やまべのあかひと]の「若の浦に潮満ちくれば…」の歌碑がある。国指定名勝に指定されている。
- 「紀三井寺駅」から徒歩23分
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玉津島神社に隣接するもと玉津島神社の祓所[はらいじょ]。海の幸、安産の神様として親しまれてきた神社で、主祭神の塩槌翁尊[しおづちのおじのみこと]は輿の窟[こしのいわや]とよばれる岩穴に鎮座する。傍らに山部赤人[やまべのあかひと]の「若の浦に潮満ちくれば…」の歌碑がある。国指定名勝に指定されている。
桃山町から高野街道をたどる山間にある。主要な建物である本殿や大日堂は室町時代に建立されたもので、いずれも重要文化財に指定されている。
宝亀元年(770)、唐僧・為光上人により開基された古刹。西国三十三所観音霊場第2番礼所。近畿一の早咲き桜の名所で、『万葉集』にも詠まれた和歌の浦の絶景を眺め、松尾芭蕉ら文人墨客が訪れた。寺名の起こりの三井水(清浄水・楊柳水・吉祥水)が今も絶えず湧き出す境内には室町時代建立の多宝塔や楼門、鐘楼など国重要文化財が立ち並ぶ。木造立像では日本屈指の大きさを誇る大千手十一面観音像は大願成就のパワースポットとしても知られる。紀三井寺ケーブルを利用すると231段の石段を登らずにすむのでおすすめ。
1000年以上の歴史がある神社。徳川頼宣が和歌山城に入城してから城の守り神となり、吉宗の誕生時、この社の宮司が仮の親になったという。神馬の像は吉宗の寄進とされる。
紀州徳川家の菩提寺。初代藩主・頼宣の正室や吉宗夫人の寛徳院など、歴代藩主夫人の墓所が境内にある。
宝亀元年(770)に創建され、『枕草子』にも登場する古刹。正式には風猛山[ふうもうざん]粉河寺。粉河観音宗の総本山で西国三十三カ所第3番札所として名高い。最盛期には七堂伽藍、塔頭550坊、寺領四万石を有し、高野山、根来寺に次ぐ勢力を誇ったが、秀吉の紀州攻めの際に諸堂を焼失。江戸時代に再建された。大門、中門、本堂、千手堂(いずれも重要文化財)などがたたずむ。『紙本著色[しほんちょしょく]粉河寺縁起絵巻』は平安時代に描かれたもので、国宝に指定されている。
粉河寺の境内に立つ神社。宮司が引き取った2羽のクジャク、鶏4羽(チャボ)が飼われており、参拝客は自由に見ることができる。8~9月は尾羽が抜け落ちるので羽を広げることはない。
国宝。真言密教の教義を形にした、根來寺の中心的堂宇。100年以上の歳月をかけて建立された。天文16年(1547)に完成。高さ約40mで、木造の大塔としては国内最大級。現存する唯一の中世の大塔である。円形の堂内には胎蔵界[たいぞうかい]の大日如来を囲んで、四仏四菩薩が安置されている。
有田市東部にある浄土宗西山派の末寺。琴の名手で天皇から三位の位と中将の名を賜った中将姫ゆかりの寺だ。その昔、姫の名声をねたんだ継母が伊藤春時に殺害を命じる。が、姫の徳に打たれた春時は、逆に剃髪し、名を得生と改め姫を守った。このことが名の起こりといわれる。姫がハスの糸で織った浄土曼荼羅図などの寺宝も、予約しておけば拝観できる。また、毎年5月14日には、中将姫が極楽浄土に旅立つ様子を表した中将姫来迎大会式[らいごうだいえしき]が盛大に行われる。
地元では「大寺[おおてら]さん」の名で親しまれる真言律宗の古刹。8世紀前半、聖武天皇の勅命で行基が開山。本尊に漆箔大日如来坐像を祭る。本堂(重要文化財)は南北朝時代の再建。寄棟造本瓦葺[よせむねづくりほんかわらぶき]で、朱の柱と緑の連子[れんじ]窓が調和している。年末年始の内部拝観は電話で事前確認が必要。
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