蜆塚遺跡
佐鳴湖の東岸にある国指定史跡。約3000~4000年前の縄文時代の遺跡で、住居跡や墓、貝塚が見つかっており、現在は史跡公園として整備されている。
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佐鳴湖の東岸にある国指定史跡。約3000~4000年前の縄文時代の遺跡で、住居跡や墓、貝塚が見つかっており、現在は史跡公園として整備されている。
三島から箱根に向かう、国道1号沿いにある城跡。築城は戦国末期。北条氏政が秀吉の攻撃に備えて増築を行ったが、その完成を見る間もなく秀吉の4万の軍に攻められ、わずか半日で陥落した。現在は山城の特色を伝える史跡公園として整備され、国の史跡に指定。富士山の眺望もよい。
楽寿園の園内中央に位置する明治期建築の高床式数寄屋造の建物。係員の解説付きで公開している(中途の入退場不可)。野口幽谷[ゆうこく]や滝和亭[たきかてい]など明治期の大家による装飾絵画が、およそ210面にわたり、天井や襖に描かれている。見学には係員が30分コースで案内(1日6回、コース・時間は要問合せ)。
松川の河口、伊東港に面した小公園。伊東の市政30周年を記念し、昭和52年(1977)に造られた。芝生園地が整備され、「家族」など、伊東在住の彫刻家・重岡建治[しげおかけんじ]氏のブロンズ彫刻が置かれている。港に出入りする船が見られ、海上には初島、真鶴半島をはじめ、遠く房総半島なども望める。
ウィリアム・アダムスの功績をたたえたもので、松川河口に架かるなぎさ橋のたもとに立つ。イギリス生まれのアダムスはオランダ商船隊の水先案内人を勤めていたが、慶長5年(1600)に船が難破して九州に漂着。その後、徳川家康の信任を得て日本に帰化。三浦按針と名乗り、伊東で日本最初の西洋式帆船を建造した。按針記念碑やイギリス詩人エドマンド・ブランデンによる詩碑が建っている。
静岡県内最古といわれる旧松原交番の建物をそのまま利用した観光案内所。館内には案内人が常駐し、湯の町散策についてのアドバイスもしてくれる。イベント情報や観光に役立つ各種パンフレットも揃えている。
大名、公家、幕府役人などが宿泊、休憩する施設を本陣といい、脇本陣とはその補助的旅舎。普段は旅籠屋を営み、大通行などで本陣の利用が重なった時に本陣の代わりをつとめた。この脇本陣は、旧東海道で唯一残された遺構を復元したもので、旧脇本陣「茗荷屋」の上段の間があった書院棟が残されている。舞坂宿は江戸から30番目の宿場で、東西交通を結ぶ今切渡しの渡船場であった。
天竜川と旧二俣川に三方を囲まれた天然の要塞の地にあり、急峻な丘陵上には本丸、二の丸、蔵屋敷、北曲輪、南曲輪など主要施設が階段状によく残っている。築城時期は判然としないが、16世紀には城郭の基礎ができたとみられる。その後、徳川氏と武田氏が争奪を繰り広げた舞台となるが、野面積の石垣や天守台は豊臣系大名の堀尾氏領有期(1590~1600)に鳥羽山城とともに整備されたことが、最近の調査で判明した。
二俣城は、天竜川と旧二俣川で三方を囲まれた天然の要害の地にある。丘陵の上を階段状に曲輪が設けられ、主要な施設が連なる。城の中心である本丸や二の丸には、土塁や石垣がめぐらされ、本丸の最奥には天守台がみられる。城郭の基本的な姿は、今川氏や徳川氏によって形づくられたとみられるが、石垣や天守は豊臣方の勢力下にある堀尾氏の領有時代の天正18年(1590)~慶長5年(1600)に築かれたものと考えられる。家康の長男信康が自害させられた悲劇の城として広く知られている。
慶長6年(1601)に徳川家康によって創設されたと言われる関所で、現在の建物は残存する資料をもとに平成元年度(1989)に再建されたもの。本番所などには等身大の人形が並び、当時の様子を再現している。展示棟である姫様館では、江戸期の駕籠や手形などの資料が展示されている。団体料金は20人以上100円、80人以上50円。
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