
物見塚公園
伊東市役所に隣接する小公園で、藤原氏の流れを汲む伊東氏の館跡といわれる。高台のため見張り台があったところ。園内に立つ銅像の伊東祐親[すけちか]は、伊豆一円を統合し、伊東氏繁栄の基礎を築いた人物。源頼朝と恋に落ちたという八重姫の父で、曽我兄弟の祖父にあたる。
- 「伊東駅」から徒歩22分/「南伊東駅」から徒歩25分
ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
伊東市役所に隣接する小公園で、藤原氏の流れを汲む伊東氏の館跡といわれる。高台のため見張り台があったところ。園内に立つ銅像の伊東祐親[すけちか]は、伊豆一円を統合し、伊東氏繁栄の基礎を築いた人物。源頼朝と恋に落ちたという八重姫の父で、曽我兄弟の祖父にあたる。
城ケ崎自然研究路のコース途中にある。海上交通安全のために設けられた灯明台の跡。
明治13年(1880)に建てられた岩科学校は、なまこ壁を生かした社寺風建築様式にバルコニーなどの洋風を取り入れた和洋折衷な建物。伊豆地区に現存する最古の学校建築として知られており、昭和50年(1975)には国の重要文化財に指定されている。明治から昭和にかけての教科書や教育資料が展示されているほか、明治時代の授業風景が再現されている。また2階各室の西の間には、左官の明工・入江長八[いりえちょうはち]によって施された千羽鶴が描かれている。この千羽鶴は、左官技法と色彩技法を巧みに融合させた長八作品の傑作。
御前崎沖合を行き交う船の安全を守るために設置された灯台。寛永12年(1635)に常夜灯台が置かれたのが始まりで、その後、イギリス人技師ブラントンの指導によって明治7年(1874)に現在の西洋式灯台となって生まれ変わった。高さ17mの展望デッキに上ると、太平洋の大海原が正面に広がり、水平線まで見渡すパノラマは見事だ。
建築家谷口吉生氏の設計。浜松城公園の一角にひっそりとたたずむ癒し空間。立礼席では気軽に呈茶を楽しめ和が体感できる。令和5年度静岡県景観賞優秀賞受賞。
楽寿園の園内中央に位置する明治期建築の高床式数寄屋造の建物。係員の解説付きで公開している(中途の入退場不可)。野口幽谷[ゆうこく]や滝和亭[たきかてい]など明治期の大家による装飾絵画が、およそ210面にわたり、天井や襖に描かれている。見学には係員が30分コースで案内(1日6回、コース・時間は要問合せ)。
三島から箱根に向かう、国道1号沿いにある城跡。築城は戦国末期。北条氏政が秀吉の攻撃に備えて増築を行ったが、その完成を見る間もなく秀吉の4万の軍に攻められ、わずか半日で陥落した。現在は山城の特色を伝える史跡公園として整備され、国の史跡に指定。富士山の眺望もよい。
JR金谷駅の南にある東海道の難所として知られた金谷峠。文政年間(1818~29)、幕府の命令によって、近隣の村人が滑り止めの石を敷き詰めた歴史を持つ。平成3年(1991)には「町民一人一石運動」によって、消滅しかけた金谷坂の石畳430mが復元され、深々とした木立の中、当時を偲びながら風情ある旧東海道を歩けるようになった。また、JR金谷駅西方の旧菊川宿近くにある菊川坂でも江戸後期の石畳が発掘され、平成13年(2001)には町内外の人々の手によって611mの石畳が復元されている。
ちいさなちいさなぬくもりの森は、独自の建築スタイルを追求する建築家佐々木茂良が「こんな場所があったら」と、コツコツ創りあげてきた場所。中世ヨーロッパの小さな村に迷い込んだかのようで、まるでおとぎの国にいるような穏やかで不思議な空間。高い木々に囲まれた小さな森の中に点在する店舗は、ボトルチーズケーキ・カフェ、レストラン、ジェラートショップ、雑貨ショップ。日常を離れた夢のひとときを味わいに訪れたい。
静岡県内最古といわれる旧松原交番の建物をそのまま利用した観光案内所。館内には案内人が常駐し、湯の町散策についてのアドバイスもしてくれる。イベント情報や観光に役立つ各種パンフレットも揃えている。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。
路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。
トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。