
特別史跡 登呂遺跡
昭和18年(1943)に発掘された、弥生時代後期(1~3世紀)の集落跡。住居倉庫や水路、水田、木製農具なども多数発見され、当時の生活解明に大きく寄与した。一帯は遺跡公園として整備。復元された住居や穀物を貯蔵する高床倉庫、水田跡などが見られる。平成28年(2016)、出土遺物775点が重要文化財に指定された(一部を併設の博物館に展示)。所要1時間。
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昭和18年(1943)に発掘された、弥生時代後期(1~3世紀)の集落跡。住居倉庫や水路、水田、木製農具なども多数発見され、当時の生活解明に大きく寄与した。一帯は遺跡公園として整備。復元された住居や穀物を貯蔵する高床倉庫、水田跡などが見られる。平成28年(2016)、出土遺物775点が重要文化財に指定された(一部を併設の博物館に展示)。所要1時間。
万葉集の研究で優れた業績を残した国文学者・佐佐木信綱の旧宅。庭には万葉集に歌われた草木が植えられ、信綱が詠んだ歌の説明板もある。
『伊豆の踊子』の舞台になったことを記念して、昭和40年(1965)に建てられた文学碑。川端康成文学碑同様、ここにも小説の一節が刻まれている。
元亀元年(1570)、徳川家康が遠州攻略の拠点に築城。徳川の治世はここから始まったともいえ、その後代々の譜代大名が居城としたことから別名「出世城」とも呼ばれる。城跡は浜松城公園として整備。築城当時の姿を残す石垣の上には、昭和33年(1958)再建の天守閣がそびえる。天守閣内部では鎧や刀剣などを展示。最上階の展望回廊は浜松市内が一望できるビュースポットだ。桜の名所でもある。
指月殿の裏山に広がる自然公園。修善寺の各所に設置された桂谷八十八カ所のうち、36番~44番までの札所が園内に点在する。桂谷八十八カ所とは、28kmの行程で四国霊場巡り同様の功徳が得られるとしたもの。毎年11月7~9日に巡礼が行なわれている。指月殿から急な山道を登ると、岩を削って安置した岩谷観音、山頂には源義経像、少し下ったところに鹿山の散策を好んだ吉田絃二郎の妻、明枝の句碑がある。
室岩洞は江戸時代から昭和29年(1954)まで石を切出していた採石場跡。当時の様相を残した場所で観光的に見学することのできる数少ない場所。
慶長5年(1600)、徳川家康により、東海道の通行人を調べるために創設された関所。「入鉄砲[いりてっぽう]に出女[でおんな]」といわれ、鉄砲と女性は特に厳重な取り調べを受けた。江戸時代後期の建物が現存する全国で唯一の関所跡で、国の特別史跡に指定されている。
様々なレクリエーションを楽しめる芝生の広場や、2種類の遊具広場を整備。公園北側の柏谷横穴群は、一部国指定史跡。
天竜川と旧二俣川に三方を囲まれた天然の要塞の地にあり、急峻な丘陵上には本丸、二の丸、蔵屋敷、北曲輪、南曲輪など主要施設が階段状によく残っている。築城時期は判然としないが、16世紀には城郭の基礎ができたとみられる。その後、徳川氏と武田氏が争奪を繰り広げた舞台となるが、野面積の石垣や天守台は豊臣系大名の堀尾氏領有期(1590~1600)に鳥羽山城とともに整備されたことが、最近の調査で判明した。
慶長6年(1601)に徳川家康によって創設されたと言われる関所で、現在の建物は残存する資料をもとに平成元年度(1989)に再建されたもの。本番所などには等身大の人形が並び、当時の様子を再現している。展示棟である姫様館では、江戸期の駕籠や手形などの資料が展示されている。団体料金は20人以上100円、80人以上50円。
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