
岡部宿 大旅籠柏屋・内野本陣史跡広場
東海道岡部宿の東の入口に位置する大旅籠柏屋は江戸時代の天保7年(1836)に建てられた旅籠で、国の登録有形文化財及び日本遺産構成文化財となっている。現在は歴史資料館として整備されており、帳場や台所・客間などが当時の雰囲気そのままに再現され、館内には江戸時代~昭和初期の品々や、岡部宿の歴史などが展示。また物産館かしばや、ギャラリーなまこ壁、蔵cafe&dining coconomiが併設されている。
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東海道岡部宿の東の入口に位置する大旅籠柏屋は江戸時代の天保7年(1836)に建てられた旅籠で、国の登録有形文化財及び日本遺産構成文化財となっている。現在は歴史資料館として整備されており、帳場や台所・客間などが当時の雰囲気そのままに再現され、館内には江戸時代~昭和初期の品々や、岡部宿の歴史などが展示。また物産館かしばや、ギャラリーなまこ壁、蔵cafe&dining coconomiが併設されている。
昭和18年(1943)に発掘された、弥生時代後期(1~3世紀)の集落跡。住居倉庫や水路、水田、木製農具なども多数発見され、当時の生活解明に大きく寄与した。一帯は遺跡公園として整備。復元された住居や穀物を貯蔵する高床倉庫、水田跡などが見られる。平成28年(2016)、出土遺物775点が重要文化財に指定された(一部を併設の博物館に展示)。所要1時間。
『滝沢馬琴』『孤愁の岸』などの作品で有名な歴史作家・杉本苑子氏が昭和52年(1977)に建てた。昭和55年(1980)から15年間にわたり執筆の拠点となった。
戦国時代に築かれた武田氏の小山城跡を公園として整備。園内には緑豊かな広葉樹が茂り、芝生広場や展望台、小山城などがある。春には夜桜と城のライトアップが幻想的だ。
明治13年(1880)に建てられた岩科学校は、なまこ壁を生かした社寺風建築様式にバルコニーなどの洋風を取り入れた和洋折衷な建物。伊豆地区に現存する最古の学校建築として知られており、昭和50年(1975)には国の重要文化財に指定されている。明治から昭和にかけての教科書や教育資料が展示されているほか、明治時代の授業風景が再現されている。また2階各室の西の間には、左官の明工・入江長八[いりえちょうはち]によって施された千羽鶴が描かれている。この千羽鶴は、左官技法と色彩技法を巧みに融合させた長八作品の傑作。
万葉集の研究で優れた業績を残した国文学者・佐佐木信綱の旧宅。庭には万葉集に歌われた草木が植えられ、信綱が詠んだ歌の説明板もある。
ペリー艦隊の上陸記念の地として、故村田徳次郎氏によって建てられた碑。嘉永7年(1854)再来したペリーと幕府の間でもたれた日米和親条約の交渉過程で、開港地としてのいくつかの条件を満たす下田にペリーは満足し、調査船の艦隊が次々と入港した。記念碑の前の錨は、アメリカ海軍から寄贈されたもの。
戦国武将・柴田勝家の家臣を先祖にもち、江戸時代には相良の大庄屋として隆盛を誇った大鐘家。その住宅を保存・公開している。5月~7月中旬にかけては、約1万本のアジサイが開花。9~10月中旬には酔芙蓉(すいふよう)が咲き、多くの見物客で賑わう。冬~春はつるし雛展を開催。所要30分(アジサイの時期は45分~1時間)。
下田の賑わいから離れた、静かな山間にある蓮台寺温泉に、幕末の偉人・吉田松陰ゆかりの建物が残っている。下田の奥座敷ともいわれ、稲生沢川や蓮台寺川に沿って高級旅館が立ち並ぶ地だ。吉田松陰が黒船に密航を企てた際に寄寓した民家が残り、吉田松陰寓寄処として公開されている。医師村山行馬郎[ぎょうまろう]家の母屋だった建物で、松陰が潜んだ2階の隠れの間などが、当時の状況のまま保存されている。
天正5年(1577)に開発された、伊豆最古の手掘り金山跡。奥行き約100mの坑内には空気の対流を考慮した逆さ階段などがあり、当時の人々の知恵がうかがえる。最奥部には、山の神を祭る龕[がん](神庫[ほこら])がある。伊豆市指定文化財。
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