
貫一お宮の像
尾崎紅葉の小説「金色夜叉」に登場する貫一とお宮。この2人が別れの場面を迎える海辺に、心変わりの許しを請うお宮と、それを足蹴にする貫一の姿の像が立っている。この愛憎物語の舞台は、今や恋人たちのラブスポットとなっている。
- 「熱海駅」から徒歩9分/「来宮駅」から徒歩17分
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尾崎紅葉の小説「金色夜叉」に登場する貫一とお宮。この2人が別れの場面を迎える海辺に、心変わりの許しを請うお宮と、それを足蹴にする貫一の姿の像が立っている。この愛憎物語の舞台は、今や恋人たちのラブスポットとなっている。
熱海駅前には明治末期から大正にかけて活躍した、熱海鉄道の蒸気機関車の車両が見られる。通称「ベンケイ号」と呼ばれ親しまれた。昭和51年(1976)に旧国鉄より「七号機関車」という名称で準鉄道記念物第1号に指定された。
来宮駅の南にある坪内逍遙[つぼうちしょうよう]の邸宅。屋敷は大正9年(1920)に建てられたもの。逍遙は、ここでシェークスピアの全訳を完成させた。建物は木造2階建ての日本家屋。庭先には名前の由来となった2本の柿の木と書斎がある。また、100m南の海蔵寺には逍遙夫妻の眠る墓がある。双柿舎の見学には身分証明書が必要。所要1時間。
温泉街の中央にあるパワースポット。熱泉が噴出す源泉やぐらの隣にあり、琵琶を手にした弁財天の像が立っている。この弁財天に湯をかけて願い事をすると叶うといわれている。縁結びの木「梛の木」もある。源泉ゆで玉子作り体験もでき、生玉子は熱川温泉観光協会にて購入できる。
築250年、今やほぼ現存していない飛騨白川郷の5層の合掌造りを民芸館として公開。囲炉裏で館主から建築工法や先人たちの知恵を聞き、日本の文化の素晴らしさを実感しよう。
旧道沿いの杉林の中にひっそりと立つ文学碑。川端康成の横顔のレリーフと、『伊豆の踊子』の有名な冒頭部分が刻まれている。
下田市内に点在して残る往時の姿をとどめる建物。土壁に平瓦をはめ、継ぎ目を漆喰で固めた防火・防湿のための壁は、黒地に白い格子模様で今でもモダンといえるハイデザイン。なまこ壁と写真撮影を。
流刑となった源頼朝が14歳から34歳までを過ごした地。平治の乱後、平清盛は源氏一族の血を絶つため頼朝を殺そうとしたが、清盛の継母池禅尼[いけのぜんに]の命乞いによって頼朝はこの地に流された。当時は中洲だった小島も、今では田園に囲まれた小さな公園に変わり、園内に記念碑が立つ。
非公開の岩崎邸、現存しない住友邸と並び、「熱海の三大別荘」といわれた名邸。日本家屋の母屋と離れは大正後期、洋館と広大な庭園は昭和初期に造られたもので、熱海市有形文化財に指定されている。戦後は旅館として賑わい、太宰治ら多くの文化人も投宿した。現在は熱海市の所有となり一般公開されている。館内にはゆかりの文豪たちの資料展示室や喫茶室もある。所要40分。
ペリー艦隊の上陸記念の地として、故村田徳次郎氏によって建てられた碑。嘉永7年(1854)再来したペリーと幕府の間でもたれた日米和親条約の交渉過程で、開港地としてのいくつかの条件を満たす下田にペリーは満足し、調査船の艦隊が次々と入港した。記念碑の前の錨は、アメリカ海軍から寄贈されたもの。
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