
十念寺
台座から光背の頂部分まで、約5mの阿弥陀仏座像が祀られている。
- 「権堂駅」から徒歩9分/「市役所前(長野)駅」から徒歩10分
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台座から光背の頂部分まで、約5mの阿弥陀仏座像が祀られている。
清水寺にある。像高180cm、肉付きは引きしまり、面相が穏やかな像。前方を直視する端麗な姿が印象深い。地蔵菩薩立像とともに平安時代初期から盛行した一木[いちぼく]造で、優れた彫技を見ることができる。
常楽寺、長楽寺(現存しない)と共に、別所三楽寺と称されていた古刹。天長年間(824~834)に開かれ、鎌倉時代に再興されたという歴史ある禅寺。鎌倉時代には鎌倉の建長寺と並ぶ格式が与えられ、北条氏の保護もあって、信州の仏教の中心地となっているという意味の記事が書物に残っている。本堂近くの伝芳堂(開山堂)に安置されている開山・樵谷惟仙[しょうこくいせん]和尚坐像(重要文化財)と、二世・幼牛恵仁[ようぎゅうえにん]和尚坐像(重要文化財)は、玉眼でまるで生きているかのように威厳がある。ともに嘉暦4年(1329)造。
北向観音の本坊となっている天台宗の古刹。別所三楽寺の一つで、天長年間(824~834)円仁慈覚大師によって開かれた。本堂裏には石造多宝塔(重要文化財)がある。葺吹きの屋根の本堂、樹齢350年の「御舟の松」に心打たれる。併設の美術館に展示されている徳川家康の日課念仏や聖観音像、古瓦のコレクションなども必見。
善光寺の楼門。寛延3年(1750)の建築で、5間3戸、二重の入母屋[いりもや]造。高さは約20mもある。善光寺の額は、輪王寺宮公澄[こうちょう]法親王の筆によるもの。平成19年(2007)末に平成大修理が終了し、建立当時と同じ姿に復原された。
常楽寺本堂の裏山の杉木立の中に立つ高さ3m近い石造りの塔。その昔、大きな火柱とともに本尊の観音様が現れたという言い伝えがある。軸石四面に刻まれた銘文には弘長2年(1262)に塔を建立し一切経を納めたとある。700年の風雪に耐えてきた苔むす塔は、歴史的にも貴重な存在。周辺には数多くの石塔がまるでこの塔を守るかのように立っている。国の重要文化財に指定されている。
善光寺から徒歩で20分。坂道を登り切った高台にある浄土宗の山寺。「刈萱[かるかや]道心と石堂丸」の話で知られる刈萱上人が没した地で、別名・かるかや堂という。堂内に残る親子地蔵尊は厄難を救い、極楽へ導いてくれるといわれている。また、珍しい絵解き(縁起の絵を見せながら住職が独特の口調で行う説教法話)が伝承されていて、刈萱上人一代記伝の絵解をしてくれる(1回15分、要予約)。境内の鐘は地元出身の草川信が作曲した『夕焼け小やけ』のモチーフになったといわれ、作詞家・中村雨紅直筆の歌碑が立っている。
石畳の参道左手にある天台宗の本坊。大本願と共に善光寺の法灯守護の重責を担い、7年に1回御開帳される前立[まえだち]本尊(重要文化財)が安置されている。広い境内に25ケ院の塔頭が甍を並べている様は圧観だ。また、室町風池泉廻遊[ちせんかいゆう]式の庭園では、奥庭園にある沈香亭[ちんこうてい]が明治天皇ゆかりの茶亭で趣深い。
かるかや山西光寺は善光寺の門前町にある浄土宗の古刹。刈萱上人とその子、石童丸ゆかりの寺で、善光寺参詣の人々が必ず立ち寄る寺として栄えてきた。親子が刻んだ二体の刈萱親子地蔵尊を本尊とし、境内には芭蕉句碑や親子の銅像などが立つ。希望により寺宝である江戸期作の『刈萱道心石童丸御親子御絵伝』の一代記を語ってくれることから、絵解きの寺としても知られている。
北向観音境内、愛染堂の近くにそびえる樹高22mもの大木。縁結びの霊木として人々から親しまれ、川口松太郎[かわぐちまつたろう]の名作『愛染かつら』は、この木からヒントを得たという説もある。
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