
正受庵
茅葺き屋根に昔ながらの風情が漂う禅庵。正受老人と呼ばれた道鏡慧端禅師が終生を坐禅三昧で送られ、簡素ながらも自然と調和した美しい景観の庵でもある。
- 「飯山駅」から徒歩13分/「北飯山駅」から徒歩18分
ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
茅葺き屋根に昔ながらの風情が漂う禅庵。正受老人と呼ばれた道鏡慧端禅師が終生を坐禅三昧で送られ、簡素ながらも自然と調和した美しい景観の庵でもある。
豪族仁科氏が、伊勢内宮を勧請して祭った御厨[みくりや]神社で、創建は1100年ごろ。神明造[しんめいづく]りの本殿は20年ごとに遷宮[せんぐう](新築)されてきたが、江戸時代に松本藩の祈願所になり、寛永13年(1636)の遷宮以降は部分補修となったため、神明造りでは日本最古の建築物で国宝に指定されている。また、永和2年(1376)からの棟札27枚、銅製御正体掛仏16面は国の重要文化財。宝物館入館(料金:300円、時間:9~16時、休館日:なし)では棟札・御正体など展示している。
善光寺から徒歩で20分。坂道を登り切った高台にある浄土宗の山寺。「刈萱[かるかや]道心と石堂丸」の話で知られる刈萱上人が没した地で、別名・かるかや堂という。堂内に残る親子地蔵尊は厄難を救い、極楽へ導いてくれるといわれている。また、珍しい絵解き(縁起の絵を見せながら住職が独特の口調で行う説教法話)が伝承されていて、刈萱上人一代記伝の絵解をしてくれる(1回15分、要予約)。境内の鐘は地元出身の草川信が作曲した『夕焼け小やけ』のモチーフになったといわれ、作詞家・中村雨紅直筆の歌碑が立っている。
善光寺の楼門。寛延3年(1750)の建築で、5間3戸、二重の入母屋[いりもや]造。高さは約20mもある。善光寺の額は、輪王寺宮公澄[こうちょう]法親王の筆によるもの。平成19年(2007)末に平成大修理が終了し、建立当時と同じ姿に復原された。
坂上田村麻呂[さかのうえたむらまろ]が奥州侵攻の際に建立したと伝えられる。本尊の木造千手観音菩薩立像(重要文化財)、木造聖観音菩薩立像(重要文化財)、木造地蔵菩薩立像(重要文化財)は、平安時代初期(9世紀)の彫像で、一木造の木造彫刻の中では、県内最古とされるもの。国の重要文化財に指定されている。
随神門から奥社へと続く樹齢約400年の杉並木を抜けると、左手に趣のある社殿が鎮座。祭神は戸隠の地主神・九頭龍大神[くずりゅうのおおかみ]。命の源である水を司る龍神は、雨乞いの神、縁結び、また虫歯の神としても知られる。起源は、創建は明らかになっていないが、奥社より古いといわれている。
宝光社と中社の中間あたりに鎮座。主祭神は天岩戸神話で岩戸の前で舞を舞った天鈿女命[あめのうずめのみこと]。舞楽芸能の神、火防の神、縁結の神として知られる。境内には樹齢500年を越える「夫婦杉」のほか、西行にゆかりのある桜の木が代替わりして植えられている。
東山道[とうさんどう]が開通した大宝年間(701~704)、藤原鎌足[かまたり]の子、定恵[じょうえ]によって創建された古刹。見返[みかえり]の塔とよばれる高さ19mの三重塔(国宝)が有名だが、ほかにも日本最古の鯱[しゃちほこ](重要文化財)、十一面観音立像(重要文化財)、普賢菩薩[ふげんぼさつ](重要文化財)など、歴史的、美術的に貴重なものが多い。
諏訪大社下社春宮の拝殿。安永9年(1780)、大隅流の柴宮長左衛門によって造営。正面の欄間には見事な竜の彫刻が施されている。長左衛門と秋宮の幣拝殿を造営した立川和四郎富棟は諏訪を代表する名匠としてライバル関係にあり、お互いの彫刻を競い、批評し合ったという逸話も残っている。
嘉元3年(1305)に京都臨済宗東福寺[とうふくじ]の虎関師練[こかんしれん]国師が諸国巡行の途中にこの地に立ち寄り、草庵を建てて人々に温泉の効能を教えたのが始まりと伝わる。後に曹洞宗に改宗し、武田信玄が永禄7年(1564)に伽藍[がらん]を整えさせた。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。
路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。
トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。