
貞祥寺
杉・欅の大木に囲まれた佐久平を代表する古刹。大永元年(1521)、前山城主伴野貞祥公が祖父・光利と父・光信の追善のために開基し、叔父の節香徳忠禅師を武蔵国(埼玉県)の慶徳寺から招聘し開山とした。曹洞宗地方寺院の伽藍配置を典型的に示す、七堂伽藍を整えた寺院で、禅道場として海外にも知られている。境内には島崎藤村の旧宅があり、当山ゆかりの文学碑などがある。三重塔・山門・惣門は県宝。また本堂は江戸中期のもの。
ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
杉・欅の大木に囲まれた佐久平を代表する古刹。大永元年(1521)、前山城主伴野貞祥公が祖父・光利と父・光信の追善のために開基し、叔父の節香徳忠禅師を武蔵国(埼玉県)の慶徳寺から招聘し開山とした。曹洞宗地方寺院の伽藍配置を典型的に示す、七堂伽藍を整えた寺院で、禅道場として海外にも知られている。境内には島崎藤村の旧宅があり、当山ゆかりの文学碑などがある。三重塔・山門・惣門は県宝。また本堂は江戸中期のもの。
国道19号のすぐ近く、寝覚の床を見下ろすように立つ臨済宗妙心寺派の寺。浦島太郎が年老いた自分の姿をなげいて旅立ってしまったが、後に残されていた弁財天の像を祭ったのが開基の由来という。境内には松尾芭蕉、正岡子規、種田山頭火の句碑、姿見の池、宝物館などがあり、奥の降り口から寝覚の床への近道が通じている。宝物館には浦島太郎が置き忘れたという愛用の釣竿[つりざお]や硯などを展示。
千曲川の支流湯川の崖の中腹に、朱色に彩られた舞台造がこの神社。およそ400年前に、京都の伏見稲荷[ふしみいなり]から勧請[かんじょう]して創建された神社で、古くから養蚕と商業の神として信仰を集めている。近年では学業の神としても人気が高い。
長野市の善光寺の本尊が元はこの寺にあったことから元善光寺の名で呼ばれ、両方をお詣りして両詣りといわれる由縁から善光寺と併せて参拝する人が多い。宝物殿にある御本尊を安置した際に光ったとされる臼は一見の価値がある。
水源となる盛平山頂付近に霊場があることから名付けられ、戦国から江戸時代にこの地を治めてきた遠山氏一族の菩提寺・龍淵寺境内に湧く霊水。平成の名水百選の一つにも選ばれ、約500年前から一度も涸れたことがない。やや硬水の霊水はミネラル豊富でまろやか、便秘解消やダイエットにも効果的とか。
室町時代初期に創建された、木曽福島の興禅寺[こうぜんじ]、長福寺[ちょうふくじ]と並ぶ木曽三大寺の最古刹。永享2年(1430)に建てられたが木曽川の氾濫で流失し、慶長3年(1598)に現在地に再興された。現在ある本堂、庫裡[くり]、山門は当時の建物で、昭和27年(1952)に国の重要文化財に指定。本堂内にはウグイス張りの廊下が残され、木曽檜造りの大きな座像「定勝だるま」があることから木曽七福神布袋尊霊場としても知られている。鶴亀蓬莱庭園や山門そばのシダレザクラも見事。
定勝寺の庭園。平成14年(2002)の作庭だが、折鶴を模った石組や岬型燈籠[みさきがたとうろう]、石橋が、池のように敷き詰められた白砂に美しく配置されている。遊歩道を巡って四方から鑑賞でき、新緑や紅葉期には一段と趣がある。
木立の中に佇む軽井沢の歴史ある教会は大正時代、北原白秋や島崎藤村ら多くの文化・著名人が集った「芸術自由教育講習会」を原点に持つ由緒ある場所。当時の開かれた教会の精神は今も受け継がれ、毎週日曜13時30分~のゴスペル礼拝や8月と12月に季節を通じて行われるイベントはだれでも参加できる。
追分宿の西側にあり、約400年の歴史をもつ曹洞宗の古寺。堀辰雄が毎日のように散策に訪れたことでも知られる。山門の手前より左の小道を浅間山に向かって歩くと、木々に覆われた墓地に出る。この小道は堀辰雄や立原道造が散策路としていた道で、右側には堀が愛した石仏の如意輪観音像[にょいりんかんのんぞう]がある。首をかしげ、左手を頬にあてていることから「歯痛[はいた]地蔵」ともよばれている。ほかにも境内には書家稲垣黄鶴の句碑やカーリング地蔵尊などユニークなお地蔵さんがある。
境内の薬師堂は、徳治3年(1308)の刻銘をもつ銅製の鰐口[わにぐち](正殿の軒下に吊るして鳴らす銅製の音響具)があることから鎌倉時代のものとされる。堂内にある木曽最大といわれる薬師如来座像と、日光菩薩、月光菩薩の立像は、希望があれば拝観可能。薬師堂は、平成22年(2010)、創建当時の姿に復元する事が行われ再建されている。薬師堂と鰐口は共に県宝に指定されている。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。
路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。
トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。