
龍雲寺
旧中山道の宿場町として栄えた岩村田。歴史に育まれたこの町にある寺。武田信玄が信濃路に出兵する際に、必ず戦勝祈願に詣でたといわれる。昭和6年(1931)には、信玄のものと推測される遺骨が発掘され、現在その遺骨は、本堂横にある信玄公霊廟に眠っている。
- 「岩村田駅」から徒歩11分/「佐久平駅」から徒歩23分
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旧中山道の宿場町として栄えた岩村田。歴史に育まれたこの町にある寺。武田信玄が信濃路に出兵する際に、必ず戦勝祈願に詣でたといわれる。昭和6年(1931)には、信玄のものと推測される遺骨が発掘され、現在その遺骨は、本堂横にある信玄公霊廟に眠っている。
定勝寺の庭園。平成14年(2002)の作庭だが、折鶴を模った石組や岬型燈籠[みさきがたとうろう]、石橋が、池のように敷き詰められた白砂に美しく配置されている。遊歩道を巡って四方から鑑賞でき、新緑や紅葉期には一段と趣がある。
宝暦4年(1754)に建造。紅殻[べんがら]で塗ってあるため赤門とよばれている。鬼瓦には藩主であった堀家の梅鉢紋[うめばちもん]がある。江戸時代には藩主との対面所として用いられ、飯田城が廃城となった明治期からは郡役所の正門として使われた。昭和60年(1985)11月20日、飯田市有形文化財に指定。
治承4年(1180)に以仁王[もちひとおう]の令旨[りょうじ]を受けた義仲が、ここで平家追討の旗挙げと戦勝祈願を行ったことから名前がついた。武家の守護神として知られる京都の石清水八幡宮を勧請し、義仲が館を構えたこの地に祭ったのが建立の由来とされる。義仲の元服の儀式もこの境内で行われ、その際に植樹したとされる拝殿脇の大きなケヤキは、義仲元服ケヤキとよばれている。
妙覚寺庭園内の石室に安置されている石仏。左手に十字架のような物を捧げていることから、この名でよばれ親しまれている。石仏の裏には、「天保三辰年」(1832)の銘が刻まれている。
境内の薬師堂は、徳治3年(1308)の刻銘をもつ銅製の鰐口[わにぐち](正殿の軒下に吊るして鳴らす銅製の音響具)があることから鎌倉時代のものとされる。堂内にある木曽最大といわれる薬師如来座像と、日光菩薩、月光菩薩の立像は、希望があれば拝観可能。薬師堂は、平成22年(2010)、創建当時の姿に復元する事が行われ再建されている。薬師堂と鰐口は共に県宝に指定されている。
杖突[つえつき]街道への入口に立つ日蓮宗の寺。本堂の裏側には大奥で権勢を振るった絵島の墓標が静かに佇み、田山花袋や斉藤茂吉などの文人達がこの墓の歌を詠んだことで知られている。境内には昭和15年(1940)の絵島没後二百年忌に、絵島の生涯を偲んだ歌人・今井邦子の「向う谷に陽かけるはやしこの山に絵島はいきの心堪えにし」の歌碑がある。宝物館(要予約)には、絵島の遺品や検死問答書などを収蔵。シャクヤク・ボタンの花所としても有名だ。
光前寺にあり、方一間入母屋造[ほういっけんいりもやづくり]で、室町期の様式をうかがえる古建築。中に納められた宝形造[ほうぎょうづくり]の厨子とともに国の重要文化財に指定されている。
元善光寺にあり、約41年間本尊の台座となっていたという座光の臼を筆頭に約80点程の仏像仏画等を展示。
松原湖の東岸に位置する古社。創立は奈良時代から鎌倉時代(710~1333年の間)と言われている。境内には、武田信玄が寄贈した野ざらしの鐘が安置されている。その昔、信玄が信濃攻めの戦利品として獲得した梵鐘で、屋内に置くと火事がおきると伝えられている。長い間野ざらしだったが現在は保存のため、屋根の下に置かれている。上社から徒歩10分、湖の北岸には下社がある。また毎年7~8月には、松原湖周辺にある7カ所の神社を巡るスタンプラリーが開催され、5個以上スタンプを集めると小さなお土産がもらえる。スタンプ帳200円は、観光案内所で購入可。
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