
愛染桂
北向観音境内、愛染堂の近くにそびえる樹高22mもの大木。縁結びの霊木として人々から親しまれ、川口松太郎[かわぐちまつたろう]の名作『愛染かつら』は、この木からヒントを得たという説もある。
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北向観音境内、愛染堂の近くにそびえる樹高22mもの大木。縁結びの霊木として人々から親しまれ、川口松太郎[かわぐちまつたろう]の名作『愛染かつら』は、この木からヒントを得たという説もある。
安楽寺の背後の山腹にあるこの塔は、鎌倉末期に北条氏によって建立されたもの。現在日本に残る、ただ一つの八角の塔だ。建築は中国から伝わった禅宗様建築。外側から一見すると四重に見えるが、一番下の屋根は「裳階」[もこし]とよばれるひさしのようなもの。縁や手すりがどこにもないなどの特徴がある。塔の内部は内陣と呼ばれ、大日如来像が安置されている。
天文16年(1547)、真田幸隆[ゆきたか]が開いた寺。その後昌幸[まさゆき]によって整備され、真田氏の菩提所となった。参道入口にそびえ立つアーチ型の大きな石門が有名。境内には幸隆夫妻と昌幸の墓がある。春のシダレザクラも見事。
平安時代から鎌倉時代にこの地を治めた海野氏の氏神で、海野宿の鎮守でもある。境内には樹齢700年の大ケヤキがそびえ、地元出身の名力士・雷電を記念した土俵も。毎年4月の第2日曜日には例祭、11月第1日曜日には新嘗祭が行われ、いっそうの賑わいをみせる。
松本市郊外、里山辺[さとやまべ]にある真言宗の古刹。聖徳太子の開基と伝えられ、境内には松本藩主石川数正夫妻の供養塔がある。寺小屋として利用された時代もあり、山辺学校との関わりも深い。
戸隠神社は、戸隠山の麓にある奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社五社の総称。天照大神の天の岩戸開き神話にゆかりの神々を中心に祀る。
主神は真田昌幸と長男の信之父子。さらに江戸時代にこの地を領していた仙石、松平両家の歴代藩主が祭神として奉られている。何万もの徳川の軍勢を数千人で撃退した真田の知恵や勝運にあやかろうと訪れる人も多い。
天平13年(741)、鎮護国家を願う聖武天皇の勅願によって全国に建立された国分寺の一つ。境内には薬師如来を安置した本堂をはじめ、三重塔・大黒天堂・鐘楼・観音堂・地蔵堂・宝蔵などの堂塔伽藍があり、特に和唐折衷様式の三重塔は国の重要文化財。毎年1月7・8日に行われる縁日は八日堂[ようかどう]と呼ばれ親しまれており、蘇民将来符とよばれる護符や、ダルマなどの縁起物を買い求める参拝客で賑わう。夏のハスなど四季折々の花が楽しめる。
この地には、平安時代の伝説の鬼女紅葉[もみじ]を供養する鬼立山地蔵院があったが、その後、江戸時代に曹洞宗の禅師を迎え松巖寺となった。本堂の欄間には曹洞宗の開祖・道元[どうげん]禅師の一代記が彫られており、格天井には見事な花鳥画がはめられている。妖術を使ったという鬼女紅葉[きじょもみじ]の伝説は興味深い。
東山道[とうさんどう]が開通した大宝年間(701~704)、藤原鎌足[かまたり]の子、定恵[じょうえ]によって創建された古刹。見返[みかえり]の塔とよばれる高さ19mの三重塔(国宝)が有名だが、ほかにも日本最古の鯱[しゃちほこ](重要文化財)、十一面観音立像(重要文化財)、普賢菩薩[ふげんぼさつ](重要文化財)など、歴史的、美術的に貴重なものが多い。
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