
吐月峰柴屋寺
今川氏に仕えた連歌師宗長が、永正元年(1504)に草庵を結んだところ。月の名所として知られる。京都の銀閣寺を模したといわれる庭園が室町時代の様式を伝え、本堂には足利義政から拝領した文福茶釜、一休さんから賜った鉄鉢など寺宝も展示。丸子富士や天柱山の遠景を取り込んだ借景庭園は見事。庭園は国の名勝及び史跡に指定されている。
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今川氏に仕えた連歌師宗長が、永正元年(1504)に草庵を結んだところ。月の名所として知られる。京都の銀閣寺を模したといわれる庭園が室町時代の様式を伝え、本堂には足利義政から拝領した文福茶釜、一休さんから賜った鉄鉢など寺宝も展示。丸子富士や天柱山の遠景を取り込んだ借景庭園は見事。庭園は国の名勝及び史跡に指定されている。
宇津ノ谷[うつのや]峠を越える旅人が、鬼に会わぬようお参りしたという延命地蔵尊を安置している。室町時代から伝わる魔除けの「十団子[とうだんご]」は8月23・24日の縁日に販売している。
富士山須山口登山道の起点となる神社。樹齢400~500年といわれるスギの巨木に覆われた境内は神聖な雰囲気に包まれ、縁結びや安産、子宝の神といわれる「木花開耶姫(このはなさくやひめ)」を祀る。境内にはハート型(猪目模様)の小窓の石灯篭がある。小窓から覗く、ハート型に縁どられた拝殿や、手水舎に映る逆さ浅間神社はSNS話題のスポット。
浅間神社の西麓にあり、境内には家康の正室であった旭姫の供養塔がひっそりと立つ。旭姫は豊臣秀吉の異父妹であり、天正14年(1586)、44歳で浜松城にいた家康に嫁いだ。その4年後、天正18年(1590)に摂州有馬[せっしゅうありま]で亡くなって京都の東福寺に葬られ、供養塔は瑞龍寺に立てられた。寺には家康が寄贈したという朱印や旭姫の遺品が収蔵されている。また、門前には松尾芭蕉の句が刻まれた「しぐれ塚」がある。
網代の町なかからトンネルを2つ抜けて海岸線を回り込んだ山の中腹にある。本尊は奈良時代の僧行基の作と伝わる木造の聖観音像で、33年ごとに開帳(1996年開帳)。境内は竹林が美しく、石造りの33観音像が並ぶ。相模湾や初島の眺めがよい。
古奈温泉側から源氏山に上る途中に立つ、西琳寺の別堂。菖蒲御前[あやめごぜん]が夫である源頼政[みなもとのよりまさ]を亡くした後、尼となって住んだ庵跡だ。御前は古奈で生まれ、後鳥羽上皇に仕えた美女。夫の源頼政はヌエ退治で有名な武将。堂内には、弘法大師の作と伝わる弥勒菩薩が安置され、お堂の前に御前ゆかりの桜の古木「美女桜」がある。
ロシア使節のプチャーチン提督が泊まった寺。嘉永7年(1854)、プチャーチン提督以下500名は日露交渉のため来日。ところが下田港に停泊中に安政の大地震に遭い、軍艦ディアナ号は地震による津波で大破してしまった。新しい船は戸田で造られることになり、完成までの約4カ月間滞在した。境内には滞在中に亡くなった乗組員の墓がある。また、しだれ桜も有名で、美しく咲くその姿は、春の風物詩のひとつになっている。
仁科川の上流にある寺。本堂の天井に漆喰[しっくい]の羅漢像と八方睨[にら]みの龍が描かれていることで知られている。羅漢像は500体もある。
熱海伊豆山温泉の伊豆山浜から、春にはヤエザクラが見事な長い参道の石段を上った丘の上に本殿が鎮座する神社。かつては「伊豆山大権現」と呼ばれ、平安時代編纂の『延喜式』にもその名が載る古社だ。源頼朝が源氏再興を祈願し、鎌倉時代には関八州総鎮護となって崇敬された。相模灘を望む朱塗りの本殿付近は、頼朝と北条政子が逢瀬を重ねた場所といわれ、頼朝・政子腰掛け石もあって縁結びのパワースポットとして人気になっている。境内には、光り石や伊豆山郷土資料館などの見どころがあり、本殿から約1時間登れば本宮社も参拝できる。
仇討ちで有名な曽我十郎・五郎兄弟と、その父河津三郎祐泰[すけやす]を祭る。このあたりは平安時代末期に河津氏の館があった場所であり、十郎、五郎もここで生まれた。相撲技の「かわづ掛け」に名を残す河津三郎は強力で知られ、境内には三郎が力試しに使ったといわれる力石[ちからいし]や力石を持った三郎の像がある。神社の管理者がいないため、ご朱印はない。
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