
須山浅間神社
富士山須山口登山道の起点となる神社。樹齢400~500年といわれるスギの巨木に覆われた境内は神聖な雰囲気に包まれ、縁結びや安産、子宝の神といわれる「木花開耶姫(このはなさくやひめ)」を祀る。境内にはハート型(猪目模様)の小窓の石灯篭がある。小窓から覗く、ハート型に縁どられた拝殿や、手水舎に映る逆さ浅間神社はSNS話題のスポット。
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富士山須山口登山道の起点となる神社。樹齢400~500年といわれるスギの巨木に覆われた境内は神聖な雰囲気に包まれ、縁結びや安産、子宝の神といわれる「木花開耶姫(このはなさくやひめ)」を祀る。境内にはハート型(猪目模様)の小窓の石灯篭がある。小窓から覗く、ハート型に縁どられた拝殿や、手水舎に映る逆さ浅間神社はSNS話題のスポット。
文政6年(1823)に、薄幸の少女(母)の霊を祀るために建立された神社。祭神は「安(やす)」と言い、子宝や安産、子育てに霊験あらたかな社として有名。県の「エンゼルパワースポット総選挙」の「行って良かった部門」で1位にも選ばれている。木彫りの犬の像を撫でれば子宝に恵まれるといわれ、県外からも多数の参拝者が訪れる。
日蓮正宗の総本山で、正応3年(1290)に日興上人[にっこうしょうにん]が創建。広い敷地に高さ22m、間口24mの朱塗りの三門、御影堂、江戸時代中期に建てられた高さ34mの朱色の五重塔(重要文化財)など歴史を感じさせる建物が立っている。桜の木が数多く植えられ開花期は見ごたえがある。
千歳川の南岸に立つ福泉寺境内に鎮座する、珍しい陶製の大仏像。江戸時代に名古屋城主徳川光友が母を弔うため城内に建立したと伝わり、戦後、現地に移された際に肩から上だけになったため首大仏とよばれている。
高さ2mほどの滝の上に駿河を攻略した武田信玄の守り本尊、愛宕山大権現の堂と、不動明王堂がある。毎月28日が縁日で朝市が立つ。
7世紀後半の白鳳時代に開創。関所鎮護の仏堂が寺の始まりと伝えられ、梵鐘[ぼんしょう]や書画などの文化財を収蔵。山門や鐘楼など歴史的な建造物も多い。足利尊氏と徳川家康ゆかりの寺でもあり、家康が指図したという池泉庭園は国の指定名勝。夏目漱石・高山樗牛・与謝野晶子など多くの文人・詩人が訪れ、天明年間(1781~88年)の作とされる五百羅漢石像は島崎藤村の小説にも登場する。また、平成29年(2017)10月には、江戸時代に朝鮮通信使が当寺に遺した書跡48点がユネスコの「世界の記録」に登録された。
梅の名所として知られ、2月下旬~3月上旬には大小約400本の紅白梅が咲き誇る。永平寺・駿河の国の末寺として信仰も厚く、毎年7月19・20日の開山忌大祭は大いに賑わう。開催については要問合せ。
世界文化遺産である富士山の構成遺産。全国に1300余りある浅間神社の総本宮と称えられている。大同元年(806)、坂上田村麻呂が当地に遷座したと伝わる。境内は広く、長い参道の向こうに立つ現在の本殿(重要文化財)は徳川家康が造営。全国で唯一2階建ての本殿は、浅間造の見事な建物だ。本殿横手にある湧玉池(特別天然記念物)は、かつて富士山信仰の信者たちが登山の前に身を清めた神聖な池。富士山の雪解け水が湧き出したものだが、現在も水量豊かで、富士宮市内を流れる神田川の水源だ。大社の門前通りには、昔からのにぎやかな商店街が続いている。5月のやぶさめ祭りも有名。
今川氏に仕えた連歌師宗長が、永正元年(1504)に草庵を結んだところ。月の名所として知られる。京都の銀閣寺を模したといわれる庭園が室町時代の様式を伝え、本堂には足利義政から拝領した文福茶釜、一休さんから賜った鉄鉢など寺宝も展示。丸子富士や天柱山の遠景を取り込んだ借景庭園は見事。庭園は国の名勝及び史跡に指定されている。
明治26年(1893)、社会活動に貢献して没した清水次郎長こと山本長五郎をはじめ、女房のお蝶、大政、小政の墓がある。境内に立つ次郎長像の向いには次郎長遺物館もある。愛用の着衣や煙官、小政愛用の木刀などを展示、所要30分。
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