
ひょうたん塚公園
ひょうたん塚古墳を中心に整備されている公園。古墳は古墳時代後期(6世紀初頃)の前方後円墳で、当時いほはら国の有力者の墓といわれている。住宅街の高台にあり、遊具などがある。
- 「草薙(静岡鉄道)駅」から徒歩8分/「草薙(JR)駅」から徒歩10分
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ひょうたん塚古墳を中心に整備されている公園。古墳は古墳時代後期(6世紀初頃)の前方後円墳で、当時いほはら国の有力者の墓といわれている。住宅街の高台にあり、遊具などがある。
低い軒の瓦葺きの外観を持つ明治期に建てられた民家。建物正面のくぐり戸付きの大戸や格子、ナマコ壁が特徴だ。邸内では東海道に関する資料や、甲州武田家に仕えたという小池家に伝わる高札や検地帳、古文書など貴重な品々を展示している。所要20分。
主に重臣たちの出入口として利用された東御門は、要所に石落とし、鉄砲狭間、矢狭間などを備えた門。一方の巽櫓は武器の保管などの役目も担った三層二重の隅櫓。いずれも戦闘の拠点となる実践的な建物で、平成の時代に復元されたもの。
『滝沢馬琴』『孤愁の岸』などの作品で有名な歴史作家・杉本苑子氏が昭和52年(1977)に建てた。昭和55年(1980)から15年間にわたり執筆の拠点となった。
田中藩(約4万石)藩主の下屋敷跡。庭園を復元し、田中城ゆかりの建築物を移築するなど、田中城の歴史が偲ばれる。所要30分。
明治30年(1897)から6年間、読売新聞の「新小説」に掲載された尾崎紅葉の小説『金色夜叉』の舞台の一つとなったのが熱海の海岸。主人公の間貫一と鴫沢宮が熱海の海岸を散歩したという設定で、熱海サンビーチ沿いに立つお宮の松は、小説ゆかりの地のシンボルといえる。現在の松は2代目で、すぐそばには初代の松の幹の輪切りと、別れの場面を表現した「貫一・お宮の像」や「金色夜叉の碑」、「尾崎紅葉記念碑」がある。毎年1月半ばには、お宮の松前で「尾崎紅葉祭」が開催されている。
非公開の岩崎邸、現存しない住友邸と並び、「熱海の三大別荘」といわれた名邸。日本家屋の母屋と離れは大正後期、洋館と広大な庭園は昭和初期に造られたもので、熱海市有形文化財に指定されている。戦後は旅館として賑わい、太宰治ら多くの文化人も投宿した。現在は熱海市の所有となり一般公開されている。館内にはゆかりの文豪たちの資料展示室や喫茶室もある。所要40分。
安政4年(1857)、韮山代官だった江川太郎左衛門英龍の進言で建設された鉄製大砲を鋳造するための炉。嘉永6年(1853)のペリー来航、欧米各国のアジア進出に対抗するため、軍備の近代化を目的として建設された。実際に稼働した反射炉として、ほぼ完全な形で残るのは全国でもここだけ。2基の反射炉の外側は伊豆石、煙突部分は3段構造で127段のレンガが積まれ、煙突を含め高さは約16m。内側は耐火レンガのアーチ積み。天井に熱を反射させて一点に集中し、金属を溶かす構造。平成27年(2015)7月には韮山反射炉を含む「明治日本の産業革命遺産」が世界文化遺産に登録された。
文政3年(1820)清水次郎長が生まれた、次郎長通りにある生家。次郎長の写真や使った道具類などが展示され、200年前の湊に生きた庶民の暮らしが分かる。平成30年(2018)国の登録有形文化財に登録。次郎長にちなんだみやげも販売。所要20分。
来宮駅の南にある坪内逍遙[つぼうちしょうよう]の邸宅。屋敷は大正9年(1920)に建てられたもの。逍遙は、ここでシェークスピアの全訳を完成させた。建物は木造2階建ての日本家屋。庭先には名前の由来となった2本の柿の木と書斎がある。また、100m南の海蔵寺には逍遙夫妻の眠る墓がある。双柿舎の見学には身分証明書が必要。所要1時間。
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