
カエル大明神
女鳥羽川にかつて多く生息していたカエルと、商店街に活気が“かえる”をかけている、縄手通りのマスコット。通りの中ほどにはカエル大明神が立ち、ユーモラスなカエルの石像やカエル撮影看板なども点在している。
- 「松本駅」から徒歩13分/「北松本駅」から徒歩16分
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女鳥羽川にかつて多く生息していたカエルと、商店街に活気が“かえる”をかけている、縄手通りのマスコット。通りの中ほどにはカエル大明神が立ち、ユーモラスなカエルの石像やカエル撮影看板なども点在している。
一茶が中風のために65歳で亡くなるまでの半年近くを過ごした土蔵。柏原の大火で焼け出された一茶は、間口3間半、奥行2間2尺の質素な土蔵で生涯を閉じた。国の史跡に指定されている。近くにある明専寺[みょうせんじ]は一茶の菩提寺で、毎年11月19日の一茶忌には法要が行われる。
山寺常山は、佐久間象山と同時代に活躍した松代三山の一人。松代城下に残る門としては最大の長屋門形式の表門と書院、川の水を引き入れている池(泉水)をたたえた庭園が見事。庭園は国の登録記念物(名勝)に指定されている。
明治9年(1876)、地元大工棟梁の立石清重[たていしせいじゅう]によって建築された。瓦葺きの木造2階建ての建物は、白い漆喰の外壁と唐破風造の玄関の上に八角形の塔屋を載せた擬洋風建築。窓には舶来ガラスをふんだんに使用し、「ギヤマン学校」とよばれた。昭和38年(1963)まで使用された後、現在地に本館を移築。新築当時の姿に復原され、館内では当時の建築資料、教科書などが見られる。見学所要時間40分。
現在の上田高等学校の敷地は、かつての上田藩主屋敷の跡にあたる。この屋敷は、藩政の中心施設である藩庁でもあった。同校東側の表門と、その両脇につづく土塀・濠[ほり]・土塁[どるい]は、昔の面影をよくとどめており、上田市の文化財に指定されている。表門周辺は、春から初夏にかけて、桜やつつじが美しく咲き誇る。
江戸時代中期に建てられた、福原家の総本家を保存民家として一般公開している。日本有数の豪雪地帯である秋山郷の典型的な茅葺き屋根の家で、合掌造りの流れをくむ中門造りという特徴的な様式をもつ。建物内の見学も自由で、鈴木牧之[すずきぼくし]が訪れた頃の地図など、秋山郷の歴史資料を展示している。
千国街道沿いの親の原には木々に包まれて百体(現在は88体)の観音像がある。江戸時代、伊那高遠の石工の作といわれ、西国三十三カ所、坂東三十三カ所、秩父三十四カ所の礼所を合わせ百として観音礼所巡りができるように彫られたものという。
佐久間象山が松代での9年の蟄居の後、京都の川べりにかまえた家の一部(茶室)。昭和56年(1981)、象山神社の境内に移築された。東山や八坂の塔が見える眺めのよい家で、その雨に煙る情緒豊かな風情を象山が愛でたといわれる。
須坂アートパーク内にある施設。武家長屋や明治時代の長屋門が移築・復元されている。
松本市郊外の里山辺に残る山辺学校を解体・復元した施設。4年間の耐震工事を終え、平成31年(2019)4月に松本市立博物館分館としてリニューアルオープンした。山辺学校校舎の特徴や教育の様子、山辺地域の暮らしや産業について展示している。校舎は明治18年(1885)に村費と住民の寄附により建てられた木造2階建て。八角塔と玄関を中央に配置して洋風の要素も取り入れながら、なまこ壁や千鳥破風の玄関など伝統的な意匠でまとめられている。旧開智学校の「ギヤマン学校」に対し「障子学校」と呼ばれた。昭和60年(1985)長野県宝指定。
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