
国宝旧開智学校校舎
明治9年(1876)、地元大工棟梁の立石清重[たていしせいじゅう]によって建築された。瓦葺きの木造2階建ての建物は、白い漆喰の外壁と唐破風造の玄関の上に八角形の塔屋を載せた擬洋風建築。窓には舶来ガラスをふんだんに使用し、「ギヤマン学校」とよばれた。昭和38年(1963)まで使用された後、現在地に本館を移築。新築当時の姿に復原され、館内では当時の建築資料、教科書などが見られる。見学所要時間40分。
- 「北松本駅」から徒歩16分/「松本駅」から徒歩24分
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明治9年(1876)、地元大工棟梁の立石清重[たていしせいじゅう]によって建築された。瓦葺きの木造2階建ての建物は、白い漆喰の外壁と唐破風造の玄関の上に八角形の塔屋を載せた擬洋風建築。窓には舶来ガラスをふんだんに使用し、「ギヤマン学校」とよばれた。昭和38年(1963)まで使用された後、現在地に本館を移築。新築当時の姿に復原され、館内では当時の建築資料、教科書などが見られる。見学所要時間40分。
平出の泉の北側に広がる遺跡(史跡)。昭和25年(1950)からの調査によって発見された竪穴式住居は、縄文時代中期のものが106軒、古墳時代から平安時代のものが160軒を数え、かつての大規模な集落跡であることがわかった。遺跡から徒歩10分のところに塩尻市立平出博物館がある。遺跡公園内北側に平出遺跡公園ガイダンス棟があり、体験教室など利用者がくつろぎながら学習できる。
真田神社裏手にある大井戸。水が絶えたことがなく、上田市街地一番の深さを誇る。城の北方にある太郎山の麓まで抜け穴が通じているとの伝説がある。
「国宝 松本城」の天守。5重6階の天守(国宝)を中心に渡櫓[わたりやぐら](国宝)で乾小天守[いぬいこてんしゅ](国宝)をつなぎ、辰巳附櫓[たつみつけやぐら](国宝)と月見櫓(国宝)を複合した独特の美しい構造。創建当時のまま現存する貴重な天守だ。外壁は白漆喰に黒漆塗りの下見板張りで、窓が少ない。内部に入ると、各階をつなぐ階段は急勾配なうえ、蹴上げが高く、居住性よりもむしろ戦闘への備えがうかがえる。最上階からは、美ヶ原高原や安曇平、北アルプスなどが展望できる。
八ケ岳西麓にある尖石遺跡(特別史跡)は、約5000年前の縄文中期を代表するもの。一帯では200以上の住居跡や多数の土器が発見され、かつてこの地に集落が形成されていたことがわかる。隣接する茅野市尖石縄文考古館では、棚畑遺跡出土の国宝「土偶」(縄文のビーナス)や中ッ原遺跡出土の国宝「土偶」(仮面の女神)などを展示している。所要40分。
文久2年(1862)、参勤交代制が緩和されたのに伴い、9代藩主・幸教[ゆきのり]が、江戸から松代へ帰ることになった母・貞松院のために建てた城外御殿。敷地約8000平方m。主屋・冠木門・長屋・土蔵など、大名屋敷の様子を今に伝える貴重な建物で、部屋数は35室にも及ぶ。座観式の池泉庭園は四季折々、訪れる者を楽しませてくれる。
長国寺の奥にある松代真田家の初代藩主真田信之公の霊屋。信之夫妻の位牌が安置されている宝殿は、桁行3間、梁間4間の撞木屋根の入母屋[いりもや]造で、唐破風[からはふ]や千鳥破風が付いた堂々たるもの。万治3年(1660)の建立で、昭和55年(1980)に解体復元された。宝殿内外には、狩野探幽筆と伝えられている天井画や左甚五郎作と伝えらえる破風の鶴の彫刻など、すばらしい装飾が施されている。
有明山山麓に広がる歴史公園。古墳時代のムラを当時のままに再現した園内には、国の史跡に指定されている森将軍塚[もりしょうぐんづか]古墳や古墳の竪穴式石室などを展示する千曲市森将軍塚古墳館、長野県立歴史館などの史跡や施設がある。
山中での経験と技術を買われ、明治24年(1891)にウェストンを槍ケ岳に案内。以来、上高地の山案内人として名を馳せた上條嘉門次(1847~1917)の碑。松本市の稲核[いねこき]地区に生まれ、明治13年(1880)に明神池畔に小屋を建て猟師生活を送った。碑は嘉門次小屋の前に立つ。
長国寺の真田信之公霊屋に備わる表門。宝殿とともに万治3年(1660)に建立された切妻造り柿葺きの四脚門。大棟には真田家の家紋「六連銭」が記され、黒塗りの両開きの扉を持ち趣がある。隣にある信弘の霊屋は県宝に指定されている。
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