
シャーロックホームズ像
分去れの碑から旧北国[ほっこく]街道に入りすぐ右手にある。名探偵シャーロック・ホームズは、イギリスの小説家アーサー・コナン・ドイルの小説の主人公。この像は、翻訳家・延原謙[のぶはらけん]が追分油屋旅館の離れを仕事場に、『シャーロック・ホームズ』シリーズの翻訳を手がけたことから、ホームズ生誕100周年を記念して昭和63年(1988)に作られた。パイプをくわえ、難事件を次々と解決してきた小説のヒーローが、追分の地にたたずんでいる。
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分去れの碑から旧北国[ほっこく]街道に入りすぐ右手にある。名探偵シャーロック・ホームズは、イギリスの小説家アーサー・コナン・ドイルの小説の主人公。この像は、翻訳家・延原謙[のぶはらけん]が追分油屋旅館の離れを仕事場に、『シャーロック・ホームズ』シリーズの翻訳を手がけたことから、ホームズ生誕100周年を記念して昭和63年(1988)に作られた。パイプをくわえ、難事件を次々と解決してきた小説のヒーローが、追分の地にたたずんでいる。
作家の室生犀星は、大正9年(1920)に初めて軽井沢を訪れて以来、その魅力に惹かれ、亡くなる前年までの40数年間、毎夏をここで過ごした。この別荘は昭和6年(1931)に建てられた和風の平屋で、庭は犀星自らが築いたという。木立の中にひっそりたたずむ旧宅は、文学者が好んだ在りし日の軽井沢を今も伝えている。
京都へ向かう中山道と、越後へ通じる北国街道の分岐点。旅人同士が、ここで別れを惜しみ、涙とともに袂[たもと]を分けて旅を続けたといわれるのが、名の由来だ。道標のそばには、石の常夜燈などが、当時のままに立っている。石碑には、「さらしなは右 みよしのは左にて 月と花とを追分の宿」の歌が刻まれている。これは、江戸から来た場合、右へ行けば月の名所更科から善光寺を越えて越後路へ。左に進めば、木曽路から東海道を通り、桜の名所吉野へと道が続いていることを示している。
「春は名のみの風の寒さや」で始まる春を待ちわびる早春賦の歌。大正初期に作詞・吉丸一昌、作曲・中田章により発表された。北アルプスを望む絶好の場所に大きな歌碑が立つ。
六本辻近くの軽井沢霊園の一角にある外人墓地。ここには宣教師をはじめ、軽井沢で没した外国人が静かに眠る。石や木の十字架が立ち並ぶ様子は異国情緒あふれ、たくさんの外国人に愛された軽井沢の歴史がしのばれる。
宿場町として栄えた追分宿。その当時の面影を色濃く残しているのは、分去れ[わかされ]の手前にある枡形の茶屋。ここは表の2階壁面に枡の形と「つがるや」の屋号を漆喰塗りで浮きだたせ、2階を前に突き出した出桁造りになっている。当時の追分の風情を今に伝える、数少ない建造物の一つ。
世界的に有名な江戸時代の浮世絵師、葛飾北斎は、知る人ぞ知る川柳の大家でもあり、渋温泉街には百八十七の句碑が点在している。温泉街を歩きながら北斎の粋な川柳を見てまわることができる。『誹風柳多留[はいふうやなぎだる]』八十五編の巻頭文「序」の御影石も立っている。所要1時間。
岩岳の麓を通る千国街道沿いにある石仏群。西国三十三番、坂東[ばんどう]三十三番、秩父三十四番を合わせた100体と弘法大師像や馬頭観音を含め、全部で187体の石仏が芝生広場を取り囲むように並ぶ。製作年などは定かでないが高遠石工の作と伝えられ、旅人の道中安全などを願ったもの。
千国街道沿いの親の原には木々に包まれて百体(現在は88体)の観音像がある。江戸時代、伊那高遠の石工の作といわれ、西国三十三カ所、坂東三十三カ所、秩父三十四カ所の礼所を合わせ百として観音礼所巡りができるように彫られたものという。
江戸時代、宿場の人々に法令を広めるため、幕府から通達される法度や掟書を掲げた場所。古文書をもとに昭和58年(1983)に復元された。掲げられている高札の本物は追分宿郷土館に収蔵されている。
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